9.7億円
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001 2024/11/23(土) 15:43:38 ID:Jw11Y.0uNk
002 2024/11/23(土) 18:09:41 ID:3RnQeMCKOc
やったもん勝ちだよね、結局。
こんなくだらないこと誰も相手にしないから、やらない
ではなくて
世界の誰か1人は理解してくれるだろうから、やってみる
いや、違うな
中国の大富豪をよくわからん芸術品でカモる新手のビジネスかもしれん
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003 2024/11/24(日) 00:58:17 ID:yyatTsyFUM
この手のコンセプチュアル・アートは60・70年代に出尽くしたんだけどね。
今意味があるとすれば巨額を動かしてアートに参加するリバイバルゲームや市場・枠組みの再定義としてだろう。
単にバナナがこの値段!という事実だけを今頃議論すること自体は70年近く遅れてる。
更に遡ると行き着くのは1910年代のデュシャンで、現在の中学美術の教科書にも載ってて授業で議論されることもある。
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004 2024/11/24(日) 10:52:15 ID:yyatTsyFUM
この意味の議論で成り立つ西洋現代美術の流れを頭でっかちで下らないものとしたのが会田誠で
それに対して徹底的に無意味でナンセンス、美術的に成立しなかった下品なものを圧倒的な技量で作り続けている。
コンセプチュアル・アートは作らない・削ぐ芸術だが、会田の芸術はコンセプトのない作るコンセプチュアル・アートとも言える。
しかし自分は双方ともに評価してるよ。 この作品、これまでには韓国の学生が勝手に食って再展示したことがある。それもまた作品の成立に取り込まれてしまうもの。
チャイナマネーで取得されたとするとそれは黄色人種のモンキービジネスを揶揄するという邪推も成立してしまう。解釈のひとつの可能性でしかないけれど。
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005 2024/11/25(月) 11:13:28 ID:ETVVrLM0ak
オレにも作れちゃうけどコンセプトなしで。
コンセプトと言うなら、「作れるけど我慢してあえて作らない」コンセプトで、作らないわ。
このオレの所業を芸術と認められる力量は、まだ世界にはないだろうな。
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006 2024/11/25(月) 11:29:45 ID:ETVVrLM0ak
コンセプチュアル・アートとは、禅画を生み出せなかった西洋の空振り三振である。
やつらは、禅の精神を発見できず、まだその周囲に屯しながら、何も見つけられないから、貨幣化して慰めている。まだ当分、いや、永久に無理だろう。
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007 2024/11/25(月) 12:15:06 ID:ETVVrLM0ak
芸術とは金にはならないものである。金にした途端に、それは芸術であることをやめ、通貨の一形態になる。秀吉が利休に切腹を命じたのは、芸術と金を切り離すためであった。当時、秀吉ほど貨幣経済を理解し、芸術を理解した政治家はいなかった。現代社会、現代芸術は、秀吉からかなり後退したと言わねばならない。
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008 2024/11/25(月) 15:49:39 ID:ETVVrLM0ak
単なるマネロンニーズのためにユダヤ人が始めたのが芸術の貨幣化。別のニーズのために織田信長が始めたのがへうげものの数寄の世界。
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009 2024/11/25(月) 17:43:53 ID:ETVVrLM0ak
芸術とは精神性であり、権力や金銭ではないと禅は分からせてくれる。現代アートは、禅を拒否しなければ成立しない。コンセプトや貨幣化や権力を拒否しても、精神性にたどり着けないのが現代アート。
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010 2024/11/26(火) 08:40:04 ID:ANzHfkAFJ.
禅は宗教全般を代表させても構わない。
そもそも、芸術とは、宗教に先行する営みで、表現行為による超越的な聖なる世界、目に見えぬ、非存在を顕現させる技。これを矮小化したのが近代芸術。宗教は、芸術の口実ですらあったのに、今やコンセプチュアル・アートという戯言。もしくはカネを払うカモを褒めそやす道具。太鼓持ち芸に堕した。
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011 2024/11/26(火) 09:05:51 ID:ANzHfkAFJ.
kris kuksiの彫刻などは、すべてどこかで見たような古典的な彫像の集合体が立体構成のリズムを刻む作品であるが、中身はない。しかし、観る人々は何かを感じ、荘厳なイメージを喚起され、自分の内面を掻き混ぜられる気がして凝視する。 これが「現代」芸術であるのは、「意味」がまるでないからだと言うのに。
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012 2024/11/26(火) 09:28:55 ID:ANzHfkAFJ.
喚起し、顕現する力でありつつ、何も現れず、存在するのは喚起力のみ。これが禅に通じる。
kris kuksiの方向性こそが、禅。
>>1の喚起力なきお座敷芸の極北。
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013 2024/11/26(火) 09:57:32 ID:sFacWqECQk
>>5 冗談にあえて乗るけど、似たことはもう70年代日本のネオダダがやった
個展会場を封鎖して「見せヘン」と張り紙をした、現象自体が作品というもの
フランスのイヴ・クラインは展示のない画廊空間を「空虚展」として見せた
何を芸術と主張してもいいけど、他者が認識する手立てがなければ成立しないよ
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