プロパガンダと写真


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001 2011/09/01(木) 06:06:24 ID:cJCcIkCbUE
20世紀は「戦争と虐殺」の時代とも言えるでしょう。
プロパガンダ(大量宣伝)によって大衆の熱狂的支持を獲得した党派が政権に就く。
そして引き続き、戦争へと民衆を駆り立てていく。

煽り、レッテル貼り、決め付け、等等、宣伝の技術を確立したのはロシアのレーニンです。
ドイツのナチスをはじめ各国の政治勢力が宣伝技術を競って踏襲していきました。

日本でもいち早くこの現代プロパガンダ技術は採りあげられました。

ここでは写真およびグラフィックデザインというジャンルの視覚的な宣伝技術周辺の知見を
共有していきたいです。
国策写真雑誌として有名な3誌を先ず挙げておきます。

FRONT (1942-45/10冊/東方社/海外向け/内閣情報部と陸軍参謀本部)
 めざましい技術の冴えを観ることができます。クオリティの高さに驚かされます。

NIPPON (1934-44/36冊/日本工房・国際報道工芸㈱/海外向け/内閣情報部)
 グラフィックデザインのセンスの良さに驚かされます。

写真週報 (1938-45/375冊/内閣情報部/国内向け)
 現在、古書市場で比較的手に入れやすいものです。

戦後の写真界でも大活躍し今なお語られる有名な撮影者が腕を振るっています。
ライカ、コンタックス、その他の歴史的名機が仕事をしました。

宣伝について歴史的反省もあわせて振り返ってみたいものです。

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105 2012/10/30(火) 03:03:28 ID:KVouvgDW7o
飯沢耕太郎氏 2008
フォト・ジャーナリズムの原型が出来上がったのは、1920年代のドイツ。
ドイツのウルシュタイン社という出版社は、写真が印刷できることの重要さに
いち早く気づき、『ベルリン画報』というビジュアル中心の雑誌を出版する。
この『ベルリン画報』からフォト・ジャーナリズムが始まったと言っていいだろう。

しかし1933年にナチスが政権を取り、ドイツのフォト・ジャーナリズムは全部壊れてしまう。
ナチスはファシズムを主張して言論弾圧を始める。
また、ユダヤ人が中心だったウルシュタイン社の経営陣を全て取り替え、
ユダヤ人や外国人の写真家の活動も制限してしまう。

ウルシュタイン社の契約カメラマンには日本の名取洋之助もいた。
名取はドイツに留学して、ウルシュタイン社の契約カメラマンとなり、
東アジア特派員として活動していたけど、ナチスが政権を取ったことで、
ドイツに帰れなくなってしまった。しかたなく日本に残った名取は
「日本工房」を作って、報道写真の啓蒙活動を始めるんだ。

ヒットラーが政権を取ったことで、ドイツでフォト・ジャーナリストとして
活動していたカメラマンや編集スタッフが世界各国に散らばっていった。

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106 2012/10/30(火) 03:36:46 ID:KVouvgDW7o
飯沢氏による解説の続き
アメリカには『ベルリン画報』の編集長だったクルト・コルフらが亡命した。
そこでコルフはタイム社の経営者であるヘンリー・ルースに依頼されて、
新しい大衆向けグラフ雑誌『ライフ』の基本的な計画・指針を立ち上げる。

1936年11月に、世界最大のグラフ雑誌に成長する『ライフ』が創刊するんだ。
コルフが書いた『ライフ』の創刊予告文の一節は『ライフ』の精神をよく示しているね。

「すべて見ることであり、見ることに喜びを見いだすことである。
言いかえれば見て驚くことであり、見て学ぶことである。
見ること、見せてもらうことは、人間の意志と期待の一半である。
すなわち自身で見て、そしてこれを人にしめすのが本誌の使命である」

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