宗教は芸術の口実


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001 2025/05/21(水) 23:06:25 ID:d/4mReAjSI
美だけではなく、神を造形し始めてしまうのが、芸術。普通の人は、その逆に、宗教からも芸術が派生、もしくはスポンサードされるのだと考えがちだけれども、正しくは、芸術から宗教、聖なる世界、神などのイメージが、結実、結晶する。

なぜなら、「表現されないものは存在しない」からである。芸能、芸術は、もちろん徹頭徹尾、表現するものである。「表現されたものは、逆に存在せしめられてしまう」という単純な理屈。
ではわれわれ人類は、表現行為によって一体何を存在させてきただろうか?

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002 2025/05/22(木) 08:24:01 ID:wqApv6nUF6
宗教から派生して、クラシック音楽や歌舞音曲、演劇、舞踊や歌謡、落語などの話芸、絵画や彫刻、神話があるというのは、少し疑ってかかるべきかもしれない。
芸能や芸術は、実はそれ自体に価値があり、人々に影響を与える技で、はるか宗教以前からあり、そしてまた宗教の威を借りて育ちこそすれ、宗教そのものであるはずもなく、また宗教の添え物でもありはしないのではないか?つまり、宗教は、芸能、芸術の極めて強力なスポンサーであることに間違いはないが、素晴らしい作品を生み出すための方便。
もっと言えば、芸能、芸術こそが、宗教幻想をはぐくみ育てた張本人であり、どちらが親か、先かと問うのであれば、芸能、芸術の方ではないのか?
これらが人寄せする力、盛り上げ、興奮させる力そのものこそが、宗教的なものを招き寄せ、形づくり、イメージを創造したのであって、実は通常思い込まれているのとは真逆なのではないか?

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003 2025/05/22(木) 08:26:01 ID:wqApv6nUF6
ここで言っている宗教とは、世界三大宗教のみならず、それらよりはるかに古い、人類に精霊や超自然的なパワーの観念、つまり宗教的な心の世界が芽生え始めたそもそもの起源から問題にしている。
宗教と芸術の関係は、時代降っての王権などの世俗的権力によるパトロネージとは全く異なった由来とベクトルをもち、「イメージの世界の出現、構築」が、どのように集団を育てたかという、人類史の根幹に絡む問題にリンクしてはいないだろうか?
だとすれば、「祭りをする猿」としてホモサピエンスを捉え直す必要もある。

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004 2025/05/22(木) 10:50:03 ID:wqApv6nUF6
芸術には、中身がない。空っぽ。でも、宗教だって中身はない。ただ、芸術にはパワーがある。「人の心を動かすパワー」だ。偶像崇拝を禁じるユダヤキリスト教、イスラム教は、「芸術からの独立宣言」とみるべきだ。
だが、独立などできるはずがないのである。 無理筋の虚勢に過ぎない。
カテドラル、賛美歌、パイプオルガン、司祭、預言者、宗教画まで廃止してもダメである。
聖書も芸術なのだ。自然も芸術だ。感じ取られる自然の一切もまた、われわれの感覚には表現されたものに映る。「自然は芸術の先生」の意味は、そう考えてこそ、明らかになる。
神の像を描き、それを後生大事に有難がり、崇め奉る対象とすることだけが偶像崇拝ではない。可視化された聖なるものは、すべからく偶像だ。つまり、芸術、芸能だ。
芸術、芸能は、「インパクトの強い、ひとの心を動かす表現物」。 それが、宗教まで創造し、集団の統合を実現したことの名残が、現代芸術にも見て取れなければならない。

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