芸術とは何か?
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001 2026/06/13(土) 12:01:28 ID:qKA1fajGFA
芸術は、なぜ芸術なのか?
芸術だと思え、言え、信じろ、疑うなという強制力ゆえに芸術なのだよ。
完全なる暴力、不同意暴行なのだよ。
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129 2026/09/01(火) 21:09:13 ID:KM6uqR63PU

【御阿礼ミアレ】
芸術とは畢竟可視化なのだ。可視化である以上、可視物を写してもせんなく、可視化されなくては現れないものをミアレさせるための行為だ。ラスコー壁画であれば、現れてほしい獲物を可視化する。美しい花であれば、それを美しいと感じる己の心を表す。写真登場ゆえに芸術が廃るというのは安直で、写真が登場するなら美しい瞬間、美しいと感じた一瞬を捉えて可視化することになる。動きでも音楽でもそう。音楽なら可感化と言いたいところだが、比喩的には可視化と同じ。イメージが何らかの形象や波動を具現化して心を揺らすものだからだ。
写しの技というよりも、ミアレの技と呼ぶのが相応しい。
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130 2026/09/02(水) 15:04:11 ID:2EHP7tw5zw
>>129 御阿礼である以上、それは自然物にも現れるし、天変地異も御阿礼だと感受せられるものである。
あらゆる形象、事象、行為、行動が御阿礼と扱うことができる。普通の暮らし、当たり前の行動、ささいな所作仕草にも。写真やスマホの登場は世にある御阿礼を探しスナップするという行動を促した。それら登場前ならスケッチし、語り、見にゆくように勧めたかも知れない。これがアートの原点なので、生成AIによるインチキデマネパール大洪水動画やほのぼの動物動画は、フィクションの御阿礼、虚構に現れた御阿礼である。
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131 2026/09/02(水) 15:17:01 ID:2EHP7tw5zw
132 2026/09/04(金) 10:31:24 ID:QNrfgripgo
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写真は2D圧縮のお手本を示した技術なのであり、カメラ・オブスキュラの時代から、対象を2次元平面上に画材で御阿礼することに練達した画家が輩出した。画材が銀塩感光紙となり、イメージセンサーに変わると、スーパーリアリズム絵画は点描の進化系のピクセルドット写しのような作業化する。
問われるのは形象のリアル=真実性だけではない。写し出されたものがどこまで世界の真実を伝え得るものなのか?という問いだ。
世界とは、所詮は誰かによって解釈されたものでしかないので、どんな絵画も写真も演出と意図と解釈が入り混じった制御されたる創作物であろう。リアリズムと抽象(abstract)には本質的な違いはなく、二つともコンセプチュアルなものでしかない。リアリズムは解釈の幅が狭い分、制約的強制的ではあるかも知れないし、理解が楽かも知れない。だが、手業をいくら精度アップしても他の技術的な写しには叶わないがゆえに、芸としての凄みには限度がある。
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133 2026/09/06(日) 08:01:48 ID:LSsQu3LfYY

存在しないものの可視化、これが原始時代からの芸術の力。画像は4万年前のオーリニャック文化期ライオンマンモチーフ。
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134 2026/09/06(日) 15:07:26 ID:LSsQu3LfYY
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非存在の可視化が芸術の真骨頂であるならば、マジックもまた芸術であることに異論は出るまい。目を欺くことはあらゆる芸術の基本であり、日本の能などは、舞台上に死霊、神霊を現す技として生まれたさそ、映画はスクリーンに光の像で物語を動画で映し出すもので、非存在の可視化そのものだ。宗教画然り、神像彫刻然り、フィクション、神話、伝説、小説然り。
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135 2026/09/06(日) 20:15:19 ID:LSsQu3LfYY
136 2026/09/07(月) 22:57:21 ID:6nTrSNu1.c
生命や事象と言うものは所謂「空」であるから色即是空と言われる。
この空こそが非存在、非実体だとすれば、真なる存在、実体はイデアということになり、プラトニズムに舞い戻ってしまうが、この芸術論考ではそれは拒否した訳である。その代わりにミメーシスをこそ芸術の本体とし、模倣、写しの方が芸術だとしたのだが、プラトンも芸術=ミメーシスと定義したことには変わりなく、彼はミメーシスゆえに芸術を理想国家からパージしたのだった。我々は理想国家もイデアも立てないから、芸術を排斥はしない。むしろミメーシスの営みの中にもののあはれを見出した。もののあはれとは命であり、事象であり、色であり、心、空、移ろう不可視なる心の揺れだ。可視化の最たるものは心の可視化なのであり、心こそは色であり空。非実在である。
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137 2026/09/11(金) 13:29:20 ID:7lPLHHvA42
『卓越したプロンプター佐村河内守✕高性能生成AI新垣隆』
佐村河内ゴーストライター事案は、「AIが一般化する10年も前に、人間同士で『プロンプターと生成AIの関係』を先取りして演じてしまっていた事件」だった。
今では誰もが佐村河内であり、音楽どころか小説もイラストもアニメや映画もゲームやプログラムも指示によって生成できる。映画監督などは元々そうした立場に過ぎす、実際に制作しているのは俳優、脚本家、演出家、カメラマン、音声、音響、音楽、照明、編集技師達である。指示して判断してこれで良かろうと決めることができるなら映画監督なのである。往時の映画監督やプロデューサーとは異なり、予算に縛られることが少ない分、自由度は増し、才能やセンスは剥き出しになる。
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140 2026/09/12(土) 12:37:20 ID:Cdj/AUgIv2
141 2026/09/12(土) 15:51:27 ID:Cdj/AUgIv2

AI自身に、著名実在アーチストが、スタッフや制作集団職人に対して実際に行っているであろう指示のみをプロンプト化して生成AIに投げ込んで現作同等の作品が得られやすい順にアーチストを並べさせたらこうなった。
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142 2026/09/12(土) 16:07:08 ID:Cdj/AUgIv2
>>141 やはり新垣だけでは指示が出せないから佐村河内守に負けてしまうわけやね。
アーチストと言うためには指示が出せることなのかもしれないし、指示では代替できない何かをその場のプロセス内でインスピレーションをもよおして即興力に頼る才能を備えた者のことを指すのかも知れない。モダンジャズ即興演奏はプロンプト化できないからこの票のなかでは最下位だろうね。
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143 2026/09/12(土) 16:21:47 ID:Cdj/AUgIv2
144 2026/09/14(月) 04:18:30 ID:MCxOPIVss2
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AIアニメコンテストの類いは下記
1. COLOTEK(コロテック)
日本コロムビアグループ主催のAIクリエイティブコンテスト
2. World AI Film Festival(WAIFF)
AI映像作品を対象とする国際コンテスト
3. AI日本国際映画祭(AI Film Festival Japan)
AIと人間の共創による映像作品を競う映画祭
4. 日中国際アニメ映画祭(JCIAFF)
対象:AI技術を使って制作したアニメーション
5. 36H Anime Sprint
36時間でAIアニメを完成させる制作競争
中国では人間の絵師たちの失業が深刻化
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145 2026/09/14(月) 17:09:00 ID:MCxOPIVss2
テーマ、コンセプトとイメージがあれば芸術ができる時代になりました。逆にこれがないと生成AIがあってもゴーストライターや腕利きのスタッフが充実していても芸術は出来ません。
思想表現的なものに芸術は絞られてゆく。理解し、共感し、分かるものでなくてはならなくなります。テーマやコンセプトを伝えるイメージでなければならないからです。つまり、生成AIだけでは何も創り出せない。創造出来ない。意思がないからです。ものや自然や出来事にも意思を読み取る人間であってみれば、伝わらぬ不親切な作品でも勝手な解釈や意思、想いを忖度されることもあるかもしれませんが、観た人に様々に感じ取って貰って結構という投げ出し方は傑作の多面性を装っただけの失敗作かも知れません。
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146 2026/09/15(火) 21:44:00 ID:BK2ZMWoyEY
147 2026/09/19(土) 09:43:10 ID:BGJ7BpPRgo
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>>72 芸術が一方向性関数なのであれば答えを受け取ったものは比較的簡単にその答えが分かる。だが、答えを理解しているわけではない。これは、芸術に限らぬ話で、90年間数学者が解けなかった数学の難問をAIに解かせて答えが得られた事に対して、全世界のフィールズ賞受賞数学者の多くが声明を発し異議を唱えた問題にも関わる。
この動画ではそれを教育とプロセスの重要性、考える頭の構築や、考える頭の応用性を奪うからだとし、愉しみにも触れてはいるけれど、いっそ上手く解けるAIに全部丸投げして教育と頭も切り替えたらどうか、愉しみも結果だけで失われるならそんな愉しみは切り捨ててはどうかというツッコミに耐えられはしない。
芸術をAIに全面的に委ねる方向性が廃棄を迫るものは人間の何なのか?単なる制度、社会的な仕組み、システムなのか?
>>146でさだまさしさんが言うようなイニシャティブ、主導権なのか?
事象や世界を制御し、支配しようとする大脳辺縁系に発する司令系の念が拘る縄張りなのか?
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148 2026/09/19(土) 18:26:11 ID:ejndcjlVEY
何か奪ったり、廃棄を迫りはしないよ
痴呆症の特効薬を飲んだボケ老人が、「呆けてないのは俺じゃない」と言うのでもなければ
真っ暗だった所を、かつての自分を哀れに感じるくらいに明るく照らすだけだ
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149 2026/09/19(土) 20:33:06 ID:BGJ7BpPRgo
作者性 → 鑑賞者には必須ではない
制作プロセス → 鑑賞者には必須ではない
作者を知ること → 鑑賞者には必須ではない
制作の愉しみ → 個人が捨てても論理的には構わない
故に、究極的には指示者から降り、鑑賞者に徹することしか残らなくなる。すべての人間は受け身の鑑賞者。自炊をせずに外食で済ませる消費者となる。土作りから農作物を育て、自ら漁や猟をする人間がそうそういてはたまらぬように消費するだけで生きるスタイルに芸術もなるだけのこと。
数学も医学も技術開発もそうなるならば、人間の脳はこんなに多くのエネルギーを消費する器官である必要はなくなる。覚醒している必要が減る。ショートスリーパーである必要はなく、ロングスリーパーであることが求められるかも知れない。何故なら鑑賞者である必要も証明できないからである。どんなに支配。コントロールしたいと脳が頑張っても、成果に劣るのだから眠っとけと斥けられるのだ。もちろんこれは究極ではある。
しかしながら、無視できるほど遥か彼方に横たわる可能性ではなく、多かれ少なかれ、人間の脳の役割は後退途上の何処かに位置しているのは避けられない。アンソロピックを退社したジェイコブ•コクソンの告発以来、AIが人類を滅ぼすリスが騒がれ始めたのは、そこへ向かう途次で起こりうる様々なイベントのいくつかの破局的な性質を想定してのことだろうが、そのベースには人間が主導権を失うこと、人間側の制御が効かないレベルへの遷移がほぼ確定的な未来として想定されているからである。
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150 2026/09/19(土) 21:25:55 ID:jEP4hkUREo
鑑賞や制作、制作の愉しみの範囲がまた変わるだけだろ
鉄道の登場で、目的地まで何日も掛けて歩く旅情は失われたが、旅の意義や楽しみまで消失していない
運賃を払い、乗り物に乗ることも消費だが、宿代を払うのも同じことだし、野宿してトラブルに巻き込まれるリスクを有難がることもなかろう
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151 2026/09/19(土) 21:30:04 ID:jEP4hkUREo

芸術など、生産性のなさで言えば幼稚園で絵を描くのとほとんど差がないのだから、砂場でトンネル掘って遊ぶのと変わらんのよ
感動の総量を価値指標にするなら、親という大ファンの心を揺さぶってる可愛げMAXな園児の絵にさえ、負けてるかも知れんくらい。価値など元から有って無いようなものだから、無職から仕事を奪えないのと同じく、無価値なものからは価値を奪いようがない
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