芸術とは何か?


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001 2026/06/13(土) 12:01:28 ID:qKA1fajGFA
芸術は、なぜ芸術なのか?
芸術だと思え、言え、信じろ、疑うなという強制力ゆえに芸術なのだよ。
完全なる暴力、不同意暴行なのだよ。

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098 2026/08/12(水) 12:23:59 ID:0qdhPpYfMg
近代の「芸術・著作権」という概念混乱を解体し、第一原理から再設計した「写し(ミメーシス)と版権」の新しい表現・市場モデルの全貌。

​1. 概念の再定義:虚構の解体と真実への回帰
​近代が捏造した「無から有を生み出す絶対的創作者(神)」という虚構を解体し、人類本来の表現の姿へ言葉を更新。✕芸術→〇写し、✕芸術家→〇写し屋

2. 新しい法制度と市場の二層構造
​「表現の自由(模倣)」と「商業の保護(利益)」を明確に切り離した、シンプルで強固な二層システム。

販売者コピーライト(版権)への集約  
表現の模倣を全般的に縛るのをやめ、「商業プロダクト(商品)の事業保護」に限定した権利とする。

3. 作品評価の解放
​「作者の意図」や「批評家の解説」といった概念詐欺(文脈依存のブランド底上げ)を排除する。
​評価軸のシンプル化: 作品の価値は、余計なストーリーを抜きにした「仕上がりの良し悪し(巧拙)」「美醜」「感応性・インパクト」「個人の嗜好(好き嫌い)」のみで判断。
​批評家の解体: 特権的批評家は無用。各人が自由に購入し、味わい、評定すればよい。

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099 2026/08/12(水) 12:26:48 ID:0qdhPpYfMg
​■著作権廃止、版権への一元化による変化
4. 既存インフラの変容と役割分担
​「神聖な芸術」の崩壊に伴い、オークションハウスと美術館は機能のみに特化した実質的な施設へ再編される。
​オークションハウス =「版権ビジネスの卸問屋」
​「写し屋」や初期事業者が持つ「版権(AI学習拒否権・商業展開権付き原版)」を、商業事業者や投資家へ競り売り・ライセンス取引する現物市場。
​美術館 =「版権切れのミメーシス博物館」
​商業的な現行版権品は扱わず、保護期間が過ぎたパブリック・ドメイン(人類の共有財)のみを展示。
​「人間がいかに世界を写してきたか」という歴史を保存し、観客が「生の写し」と直接対峙する知覚体験の場。

​5. 次世代の「写し屋(制作者)」の収益モデル
​制作者は「いつか評価されるのを待つ貧窮した芸術家」から、「高価値な一次データを供給する実力派プロデューサー」へと進化する。
​圧倒的な「写し(技術・インパクト)」を制作する。
​自ら「販売者コピーライト(版権)」を設定する。
​無断AI学習や無断複製を法的にプロテクトした上で、オークション(卸問屋)を通じて大型資本やAI企業へ高額でライセンス・売却する。
​「神様ごっこ」を捨て、純粋な「版権の元締め」となることで、現代の大ヒット漫画家やトップIPホルダー並みに健康的かつ巨大に稼ぐことが可能になる。

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100 2026/08/12(水) 22:03:12 ID:0qdhPpYfMg
​結論
​表現の本質: 人類共通の無償のイノベーション=「写し(ミメーシス)」
​市場のルール: リスクをとって事業化する者の保護=「販売者コピーライト(版権)」
​二次流通: 単なる商品の移動=「転売自由」
​「神話」を剥ぎ取り、表現を人類の共有知へ、市場を透明な商業取引へと整流化する、極めて合理的で美しい設計図だ。

著作権という概念を取り去った上で漫画作品やキャラクター版権ビジネスにかなり近くなるイメージだ。
【空版権設定】
もし、制作者が、ビジネスは考えていないが誰か他の者が勝手にビジネス化するのは回避したいというのであれば、空版権設定を可能とすれば良い。制作者は自由に公開し、写しを許可するが、写しを商売には利用させない権利として登録可能な版権設定機関を作る。とはいえこれは無人の登録DBサーバーで構わない。


AIに食わせるのも許容する、しない、博物館展示を許可する、しない、同人二次利用を承認する、しないなど、空版権設定しておけば、制作者はコントロール出来る。

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101 2026/08/13(木) 10:06:59 ID:/xvh15s26M
著作権法には立法事実はなく、版権さえあれば十分に足りる。そうしないことによる弊害、不合理、無駄な機会損失が起きている。

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102 2026/08/13(木) 14:03:46 ID:e7Qe8KoUl.
芸術とは何か?

たかが絵のことくらいで名誉白人になりたがったり、

暇でする事のない人間だけがやればいいような事を無闇に称揚し、それを代理宗教のごとくする蒙昧な輩や、気位だけ高い乞食を産出ないしは量産することである


そんな風なバカげた時代が、終わるといいね

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103 2026/08/13(木) 15:22:25 ID:/xvh15s26M
「空版権」は、単なる「商用禁止」の札ではなく、利用範囲を制作者が選択できる権利管理インフラになる。
つまり、空版権登録時に制作者が、
AI学習
許可する
禁止する
有償なら許可する
博物館・教育展示
無償公開を許可する
事前承認制にする
商用展示のみ制限する
同人二次利用
非営利なら許可する
一定規模以上は禁止する
全面許可する
翻訳・改変
個人利用は自由
商用改変は禁止
条件付き許可
のように、利用目的ごとに設定できる。
現在の著作権制度は「権利者が包括的に禁止権を持つ」という構造だが、この案では、
表現は共有可能、ただし、どの利用を認めるかを版権設定で宣言する。
という許諾設計になるのだ。
特にAI時代では、この発想は重要な論点になる。AI学習についても「全部禁止」か「全部自由」かという二択ではなく、
学習は許可するが商用生成物は禁止
研究目的のみ許可
対価を払えば許可
という細分化が可能になる。
つまり空版権は、現在の著作権を単純に弱めるものではなく、むしろ制作者の意思を細かく表明するための権利設定制度として設計できる、ということだ。

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104 2026/08/13(木) 15:35:56 ID:/xvh15s26M
https://x.com/i/status/208755468361965177...
生成AIもアート・ディレクションしないと特定パタンに収束、収斂しがちで、このAI臭さはついにカニバリズムが起き始めたのではないかという説もある。
心がAI、人間AI絵師だと言われる田中圭一氏だからこそのポスト。

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105 2026/08/14(金) 17:28:26 ID:5cqIiZnBC6
縄文土偶は、なぜそのデザインが広域拡散したのであろう?制作者が移動したわけではなかろう。それらの形象に意味が込められていたとしても、その意味は遠隔地までは伝わることなく形象だけが模倣されたのだ。同時代人だから、縄文文化という共通の文化コンテキストに住むからという理由でひと目見ただけで担う記号的意味が伝わったと推定するわけには行かない。解説書宜しくものには必ず説明役が寄り添いシニフィエを説明して回った………わけがない。
模倣されたわけは格好が良かったから、美しかったから、心に響いたからであろう。リミナルスペースを語ったとき、プラトンの偏向を語ったとき、「模倣を導く確かな手応え」という言い方をした。必ずしも美しくなくとも奇妙であったとしても心に響いたのなら真似はされる。「土偶を読む」で竹倉史人は、写したい対象物との類似が、遠隔地まで伝わると考える必要はなかったし、そう考えることは無理筋なのだ。どこかで出土した土偶が何かの植物に似て見えれば、十分なのであり、考古学者がやりがちな形態分類は系譜やましてや土偶に込めた意味を同一性で繋げはしない。

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106 2026/08/14(金) 17:32:53 ID:5cqIiZnBC6
仮に竹倉説である「土偶は植物の精霊の可視化だとする説」を認めたとしても、考古学者が同じ系譜とグルーピングする土偶が全て同じ一つの植物を表象しているとは限らず、形を借りてより一層強くその地域で表象される別の植物の形を備えることすらあったはずだ。

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107 2026/08/15(土) 13:27:05 ID:/VnR0ZMnYg
>>1
おい、名誉白人のアホ
「AIで文化消滅、人間が発狂、文明ガー」の与太話はどこ行った?

糖質と芸術家のお仲間を鉄パイプで殴りまくるスケープゴート作戦がダメと来て、お次は口のきけない腰抜けムーブか?

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108 2026/08/16(日) 10:13:50 ID:zDaZF0CGfQ
法整備や、模倣の歴史はひとまず置き、これからの写しとしての芸術のあり様を語るなら、それは日本古来の「もののあはれの写し」であろう。
もののあはれとは、「折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念」であるとされている。
移ろい変わりゆくものの今の一瞬、消えて失われるものの心打つ今の姿を写すこと。心に映じたその一瞬の再現のための写しだ。

天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ

儚く散るのに毎年咲く桜の花、咲き誇っては萎れる四季折々の草花。

日々移ろい同じ姿を決して見せぬ山容、寄せては返す浪の今の一瞬。音や光。

毎年耕す畑に一つとして同じものなく実をつける野菜や果物

生まれてくる赤子、べこ、子猫、仔犬

繰り返しだけど繰り返しではない唯一でかけがえのない何か、日々の暮らし、日常。

心寄せるあれやこれ、心が動くあれやこれ、これが全て写しの暮らしとなり、写しの芸術の契機となる。

役者やドラマもそうであろう。しば漬け作りも狩場太鼓も花見も山行でも。

心に映ずるあはれを写すことであはれを連鎖させる技に芸術は昇華される。

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109 2026/08/16(日) 17:28:38 ID:zDaZF0CGfQ
平安朝の王朝文学などという敷居の高いものがもののあはれではない。明治のお雇い外国人たちは日本の市井の庶民の美意識に驚嘆し、書き留めている。
「どんなに貧しい労働者の家でも、またどんなに小さな、うらぶれた店でも、その軒先や窓辺には、綺麗に整えられた鉢植えが並んでいるか、あるいは季節の一輪の花が生けられている。」「彼らは贅沢な装飾を持たずとも、一輪の花、一本の竹を置くだけで、その空間を極めて芸術的なものに変えてしまう。世界中で日本人ほど、生まれつき自然を愛し、純粋な美を解する国民はいない」
エドワードモースの言葉だ。

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110 2026/08/16(日) 20:02:49 ID:6M/pwIyPZ.
>>1
おい、独り言が激しい病人
「AIで文化消滅、人間が発狂、文明ガー」の与太話はどこ行った?

糖質と芸術家のお仲間をフレンドリーファイアしまくった挙げ句、口のきけない腰抜けムーブかよ


浅はかで姑息過ぎるだよ、お前は

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111 2026/08/16(日) 20:55:52 ID:zDaZF0CGfQ
イデア的な「絶対」は、天上にある永遠不変の絶対だった。
しかし、そこから地上に降ろしてしまうとどうなるか?
すると絶対とは、代替できないものになる。
この人はこの人でしかない。
この土地はこの土地でしかない。
この時間はこの時間でしかない。
この経験はこの経験でしかない。
つまり「絶対」を普遍概念から唯一性へ移すこととなり、芸術が扱うものも変わらざるを得ない。
もはや芸術は「普遍的な美」を探す必要がない。
むしろ、
二度と同じものとして現れない、この一回的なものから受け取る心をどう写すかが芸術の問いになる。
「もののあはれの美学」は、一回性に感ずるエモさである。
これが核心。
「もののあはれ」は、永遠不変の美ではない。
移ろってしまうもの、一度しか現れないもの、失われていくものに触れたときに生じる感受、心の動きだ。
だから、
イデア=永遠に固定された美
もののあはれ=消えていくものの一回性
と置くと、ほとんど正反対になる。
「をかし」は、イイネ!であるとしたら、「もののあはれ」は、エモい、である。写し取るべきはエモさなのだ。単なる無常観ではなく、無常観の中に一回性を見出し、一回性ゆえに立ち上がる情緒を写す。単なる模写、模造、模倣完コピでは生まれない唯一性に心奪われることこそもののあはれの正体。制作は二の次三の次、感ずることに芸術の本格、本体がある。制作はそれを他者にも喚起するスイッチでしかないともいえる。ゆえに自然でも構わぬわけである。

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112 2026/08/19(水) 22:03:53 ID:upLoLMpzGM
ペットショップ店員

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113 2026/08/21(金) 21:38:36 ID:tqe7DCkDos
もののあはれれとは別に、日本から世界に与えることができる美の概念が侘び寂びである。
「わび」「さび」とは、人が作ったものなのに、人が作ったものとは思えない出来栄えに対して使う言葉である。人の技を除けた佇まいがなくてはならない。人工物なのに自然と呼べるものが放つ雰囲気、様子を「わび」「さび」という。「さび」は経年劣化、経時変化が事物に及ぼす影響がやや近しい性質を持つのでまだしも理解しやすい。若くなく、うぶじゃなく、生じゃない。馴染みよく、味わいが深く、のっぺりしていない。決して複雑ではないのに細部まで究め難さを秘めている。
「さびる」とは、「古事記」にも出てくる用法で、「ある状態がとめどなく荒れ進むこと」という原義がある。荒ぶ(すさぶ)に近い。万葉集では「神々しい」「荘厳」「厳か」という意味で「神さぶ」「神さぶる」という表現が出てくる。「やまさぶ」「翁さぶ」「うま人さぶ」などの表現もあり、「らしい」という意味に近くなる。「らしき」ものはなぜ「らしい」のであるかと言えば、何ものかが「宿る」からだろう。神事演舞の扮装演出との絡みであろうと折口信夫は言っている。「神さぶ」はやがて「古色蒼然」とか、長年の歳月を経る」という意味を帯び始める。ついには「人を寄せ付けない」「近寄りがたい」という意味にも逸れる。そこで、私の解釈、「人技」とは思えぬ......も収まりがよくなる。「さびる」は人手を離れて神が宿るのである。

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114 2026/08/22(土) 05:59:11 ID:lvQXJR5hf.
「わび」は放ってある状態、気にも留めない状態、隅っこに追いやられて目立たなく、捨て置かれている姿、粗末で質素、素朴で凝らない。意をかけないこと、ゆえに素のままであり続け、人間にいじられて曲げられていないこと。派手々々しくなく、華美でなく、ゴテゴテ飾らず、理法にのっとり自ずから然り。つまり、人間の介入関与が少ないこと=自然であり、技巧が少なくシンプルであること。無駄なものを削ぎ取った姿にそれがよく表れるからだ。
この二つを併せ持つものを美と結び付け、人工物の美が纏うことができるものだと「発見」したのが桃山文化(芸術)だ。

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115 2026/08/22(土) 08:43:27 ID:lvQXJR5hf.
侘びは人間が退くことで作為から離れて現われる美。寂びは時間が人間を消すことで神が宿る美。
リミナルスペースはある意味侘びであり、時間
要素を加えられたそれは寂びにも触れようとしている試みの一端のようにも思われるものの、これ見よがしに人間不在を明らかな人工物の集積の上に違和として提示しようとしているから、目的が全く異なる。
記憶を撹乱し、ネガイデアを降ろそうとする企みなのである。
https://vt.tiktok.com/ZSVPTuPbo...

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116 2026/08/24(月) 15:32:46 ID:81SLmK3.e6
先史時代から古代、中世、近代、現代、未来まで、西洋から東洋まで、自在に縦横無尽に芸術に関して語り尽くしたが、もはや語り残したことはない。

‪✕‬なるもの:イデア、天才、覇権、著作権、コンセプト、現代アート、オークションハウス、キューレター、ファルマコン、ドラッグ、価格

〇なるもの:ミメーシス、模倣、写し、日常、暮らし、もののあはれ、侘び寂び、唯一性、心動かす確かな手応え、版権、数寄、風流、粋、価値

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117 2026/08/27(木) 16:01:47 ID:1VphantxFQ

おい、名誉白人のポチ犬キ⚫︎ガイ

デタラメの妄想を垂れ流しながら、糖質と芸術家のお仲間をヘイトしまくった事を都合よく忘れようとしとるんか?

ヒューマニストだどうのと抜かすなら、社会不適合者のお仲間への人権侵害と差別発言をしっかり謝罪しろよ

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118 2026/08/27(木) 16:47:14 ID:53.xk6bJsM
人間は形あるもの、現象や出来事にも意味があると思いがちである。ましてや、人の造作したもの、人が行ったことには意味や内容が伴っていない訳がないと考える癖があっても全くおかしくはない。現代アートはこれに甘え、寄りかかったゴミの山に過ぎない。

コンセプチュアル系現代アートは高松次郎的な遊戯に堕している。

現代アートは、アートを問うのではなく、概念を問う座興だ。わざわざ芸術でやる必要はない。

「文字の中で自己矛盾のない文字は、『文字』という文字だけであるということ」

「この七つの文字」とか、

「単体シリーズ」とか、

別に簡単に言語化できるやろってのをわざわざ言語化しないで、言語化できないから芸術なのだと強弁する。

言語化するとなんてことないから避けているだけ。
言葉遊びならぬ形遊びだから芸術だというのであるが、形遊びだから分かりにくい点をもって深遠だ、素晴らしいなどと膝を打ち合う座興に何の意味もない。

芸術を言語化回避で謎をかける無駄な遊びにしてはならない。

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119 2026/08/27(木) 16:59:47 ID:53.xk6bJsM
草間彌生はどうか?水玉やソフトスカルプチャー、
独特な個形態からの集積効果で視覚表現を成立させたよ。椅子やらカボチャやらの基体は集積の舞台ではあるけれも、二次的客体だ。
あるのは埋め尽くしてみたけど何か?だけ。
感じ方のコントロールは放棄されている。

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120 2026/08/27(木) 17:46:21 ID:53.xk6bJsM
>>118言語回避なぞかけ系
>>119わざわざご苦労さま系
この2系統以外の現代アートは、マルセル・デュシャンのレディメイド以来の選ぶ行為をした行為系もありそうだけど、それもわざわざご苦労さま系に含まれてしまうんだよね。バンクシーもクリスト&ジャンヌ=クロードも河原温もわざわざご苦労さま系だ。

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121 2026/08/27(木) 18:16:43 ID:53.xk6bJsM
第三系統がジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン、チームラボなどの感覚操作系だな。これは現代アート内では唯一まともな路線で、写し、ミメーシスを超える可能性があるが、トリック・アートとも重なるがゆえに異端視されがち。

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123 2026/08/28(金) 21:25:42 ID:sjdYbPnBEg
•言語回避なぞかけ系
•わざわざご苦労さま系
•感覚操作系
これ以外の現代アートは存在しない。全てこれに回収されるのだが、これら全てをアートを名乗らずやってのけて鑑賞体験させてしまうのがショート動画。
ショート動画を打ち負かそうとアートの方が頑張って演出するのが臨場感や邂逅性。
演出万全の美術館という箱(ホワイトキューブ)に誘導しての邂逅性などたかが知れており、
アートがそんなものにすがったところで、災害という出会い頭には到底敵わない。
現代アートの最高峰は自然災害を含めた災害や事件ということになる。シュトックハウゼンが思わず口にして轟々たる非難の的になった「911はルシファーの宇宙最高のアート」。これが誤解かどうかは疑問の余地があり、現代アートがその邂逅性と臨場感に覚える嫉妬という意味では不謹慎極まりないとはいえあながち的外れではない。戦争や原爆、311などを臨場感や邂逅性に縋るしかない現代アートが敵わないアートだと認めるならば、ネパール大洪水を始めとするニュース映像、SNSに溢れるAI生成デマ動画ですら、エドマンド・バークが言うような安全地帯から眺める崇高、アートの切れ端複製画なのだと言わざるを得ない。

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124 2026/08/29(土) 09:21:53 ID:oOZjt.cxsE
写し、ミメーシスが写すのは何なのか?対象である内はまだ入り口。本当に写しているのは心である。
あるものに、何かを投影して日々眺め、祈る人がいるとして、その人はその何かが、どこにある(いる)と考えているであろうか?ものにいるとは思ってはおらず、心にいるのだとわかっている。その心を写しているのが、ものである。
亡き夫を富士山に重ね合わせて毎日語りかける江里子さん「心にいるのかあそこにいるのかという感じです。」
(NHK小さな旅「わたしの富士山〜山梨県富士河口湖町〜」)
彼女は芸術家ではなく、富士山を作りはしないけれど、写しの何たるかは分かっているようだ。

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125 2026/08/29(土) 11:01:02 ID:oOZjt.cxsE
トレパク作家の古塔つみ、江口寿史らは、写しはするけど心はない。心を写さぬから芸術やアートではない。心を写していれば写真でもアートなのだが。

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126 2026/08/29(土) 18:23:42 ID:oOZjt.cxsE
>>124
江里子さんが富士山を眺めるだけで富士山の写真を撮るでもなく絵を描くでもないのに富士山が、彼女の心を写すのであれば、富士山は立派な「芸術」である。彼女は、心の中の夫の二三年さんを富士に写すだけで良い。ならば心なきトレパク作品であれ、見る者が心を写すのであればそれは「芸術」なのではないか?
そうなるかね。だが、私はそれを「芸術」と呼ぶことを止めよう、写しと呼ぼうと言ってきた。トレパク作品でも写しになるとは言えるだろう。何の問題もない。従って生成AIも写しになりえる。
だが、トレースだから、過去作品データのパクリコピーだから写しなのではない。いずれも心を動かさねば写しとは言えないのだ。

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127 2026/08/30(日) 07:21:10 ID:8moiG4Z83I
その点、心を写してきた成果物を豊富なデータストックからパクれるAIには一日の長がある。心を盗む手練手管も模倣できるのだ。商業美術や他人制作のベストショット剽窃に留まるトレパク屋が心を盗むには他の工夫や努力を要する。有名性に寄りかかった江口寿史よりも無名性からのし上がった古塔つみの方がそのテクニックというか詐術には長けていたであろう。

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128 2026/09/01(火) 04:14:01 ID:oBi4izKaFU
>>80
著作権は集金システムにしか過ぎない、

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129 2026/09/01(火) 21:09:13 ID:KM6uqR63PU
【御阿礼ミアレ】
芸術とは畢竟可視化なのだ。可視化である以上、可視物を写してもせんなく、可視化されなくては現れないものをミアレさせるための行為だ。ラスコー壁画であれば、現れてほしい獲物を可視化する。美しい花であれば、それを美しいと感じる己の心を表す。写真登場ゆえに芸術が廃るというのは安直で、写真が登場するなら美しい瞬間、美しいと感じた一瞬を捉えて可視化することになる。動きでも音楽でもそう。音楽なら可感化と言いたいところだが、比喩的には可視化と同じ。イメージが何らかの形象や波動を具現化して心を揺らすものだからだ。
写しの技というよりも、ミアレの技と呼ぶのが相応しい。

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130 2026/09/02(水) 15:04:11 ID:2EHP7tw5zw
>>129
御阿礼である以上、それは自然物にも現れるし、天変地異も御阿礼だと感受せられるものである。
あらゆる形象、事象、行為、行動が御阿礼と扱うことができる。普通の暮らし、当たり前の行動、ささいな所作仕草にも。写真やスマホの登場は世にある御阿礼を探しスナップするという行動を促した。それら登場前ならスケッチし、語り、見にゆくように勧めたかも知れない。これがアートの原点なので、生成AIによるインチキデマネパール大洪水動画やほのぼの動物動画は、フィクションの御阿礼、虚構に現れた御阿礼である。

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131 2026/09/02(水) 15:17:01 ID:2EHP7tw5zw
[YouTubeで再生]
写真を見ずに実物を見て描けという人がいるが、3Dを2Dに圧縮するのであれば写真でよいはずだ。
https://x.com/aka_nuc/status/209445637665556...

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132 2026/09/04(金) 10:31:24 ID:QNrfgripgo
[YouTubeで再生]
写真は2D圧縮のお手本を示した技術なのであり、カメラ・オブスキュラの時代から、対象を2次元平面上に画材で御阿礼することに練達した画家が輩出した。画材が銀塩感光紙となり、イメージセンサーに変わると、スーパーリアリズム絵画は点描の進化系のピクセルドット写しのような作業化する。
問われるのは形象のリアル=真実性だけではない。写し出されたものがどこまで世界の真実を伝え得るものなのか?という問いだ。
世界とは、所詮は誰かによって解釈されたものでしかないので、どんな絵画も写真も演出と意図と解釈が入り混じった制御されたる創作物であろう。リアリズムと抽象(abstract)には本質的な違いはなく、二つともコンセプチュアルなものでしかない。リアリズムは解釈の幅が狭い分、制約的強制的ではあるかも知れないし、理解が楽かも知れない。だが、手業をいくら精度アップしても他の技術的な写しには叶わないがゆえに、芸としての凄みには限度がある。

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133 2026/09/06(日) 08:01:48 ID:LSsQu3LfYY
存在しないものの可視化、これが原始時代からの芸術の力。画像は4万年前のオーリニャック文化期ライオンマンモチーフ。

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134 2026/09/06(日) 15:07:26 ID:LSsQu3LfYY
[YouTubeで再生]
非存在の可視化が芸術の真骨頂であるならば、マジックもまた芸術であることに異論は出るまい。目を欺くことはあらゆる芸術の基本であり、日本の能などは、舞台上に死霊、神霊を現す技として生まれたさそ、映画はスクリーンに光の像で物語を動画で映し出すもので、非存在の可視化そのものだ。宗教画然り、神像彫刻然り、フィクション、神話、伝説、小説然り。

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135 2026/09/06(日) 20:15:19 ID:LSsQu3LfYY
生物はその殆どが芸術作品のように感じられる。
まるで非存在の可視化であるかのようにだ。 https://video.twimg.com/ext_tw_video/17715806263086366...

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136 2026/09/07(月) 22:57:21 ID:6nTrSNu1.c
生命や事象と言うものは所謂「空」であるから色即是空と言われる。
この空こそが非存在、非実体だとすれば、真なる存在、実体はイデアということになり、プラトニズムに舞い戻ってしまうが、この芸術論考ではそれは拒否した訳である。その代わりにミメーシスをこそ芸術の本体とし、模倣、写しの方が芸術だとしたのだが、プラトンも芸術=ミメーシスと定義したことには変わりなく、彼はミメーシスゆえに芸術を理想国家からパージしたのだった。我々は理想国家もイデアも立てないから、芸術を排斥はしない。むしろミメーシスの営みの中にもののあはれを見出した。もののあはれとは命であり、事象であり、色であり、心、空、移ろう不可視なる心の揺れだ。可視化の最たるものは心の可視化なのであり、心こそは色であり空。非実在である。

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137 2026/09/11(金) 13:29:20 ID:7lPLHHvA42
『卓越したプロンプター佐村河内守✕高性能生成AI新垣隆』
佐村河内ゴーストライター事案は、「AIが一般化する10年も前に、人間同士で『プロンプターと生成AIの関係』を先取りして演じてしまっていた事件」だった。
今では誰もが佐村河内であり、音楽どころか小説もイラストもアニメや映画もゲームやプログラムも指示によって生成できる。映画監督などは元々そうした立場に過ぎす、実際に制作しているのは俳優、脚本家、演出家、カメラマン、音声、音響、音楽、照明、編集技師達である。指示して判断してこれで良かろうと決めることができるなら映画監督なのである。往時の映画監督やプロデューサーとは異なり、予算に縛られることが少ない分、自由度は増し、才能やセンスは剥き出しになる。

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140 2026/09/12(土) 12:37:20 ID:Cdj/AUgIv2
>>137
で。佐村河内はこれやるといいと思うよ。

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141 2026/09/12(土) 15:51:27 ID:Cdj/AUgIv2
AI自身に、著名実在アーチストが、スタッフや制作集団職人に対して実際に行っているであろう指示のみをプロンプト化して生成AIに投げ込んで現作同等の作品が得られやすい順にアーチストを並べさせたらこうなった。

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142 2026/09/12(土) 16:07:08 ID:Cdj/AUgIv2
>>141
やはり新垣だけでは指示が出せないから佐村河内守に負けてしまうわけやね。
アーチストと言うためには指示が出せることなのかもしれないし、指示では代替できない何かをその場のプロセス内でインスピレーションをもよおして即興力に頼る才能を備えた者のことを指すのかも知れない。モダンジャズ即興演奏はプロンプト化できないからこの票のなかでは最下位だろうね。

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143 2026/09/12(土) 16:21:47 ID:Cdj/AUgIv2
[YouTubeで再生]
ベネチア映画祭にもAIフィルムフェスティバルが併設。ドキュメンタリー作品もAIで。

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144 2026/09/14(月) 04:18:30 ID:MCxOPIVss2
[YouTubeで再生]
AIアニメコンテストの類いは下記

1. COLOTEK(コロテック)
日本コロムビアグループ主催のAIクリエイティブコンテスト

2. World AI Film Festival(WAIFF)
AI映像作品を対象とする国際コンテスト

3. AI日本国際映画祭(AI Film Festival Japan)
AIと人間の共創による映像作品を競う映画祭

4. 日中国際アニメ映画祭(JCIAFF)
対象:AI技術を使って制作したアニメーション

5. 36H Anime Sprint
36時間でAIアニメを完成させる制作競争

中国では人間の絵師たちの失業が深刻化

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145 2026/09/14(月) 17:09:00 ID:MCxOPIVss2
テーマ、コンセプトとイメージがあれば芸術ができる時代になりました。逆にこれがないと生成AIがあってもゴーストライターや腕利きのスタッフが充実していても芸術は出来ません。
思想表現的なものに芸術は絞られてゆく。理解し、共感し、分かるものでなくてはならなくなります。テーマやコンセプトを伝えるイメージでなければならないからです。つまり、生成AIだけでは何も創り出せない。創造出来ない。意思がないからです。ものや自然や出来事にも意思を読み取る人間であってみれば、伝わらぬ不親切な作品でも勝手な解釈や意思、想いを忖度されることもあるかもしれませんが、観た人に様々に感じ取って貰って結構という投げ出し方は傑作の多面性を装っただけの失敗作かも知れません。

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146 2026/09/15(火) 21:44:00 ID:BK2ZMWoyEY

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