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芸術とは何か?
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001 2026/06/13(土) 12:01:28 ID:qKA1fajGFA
芸術は、なぜ芸術なのか?
芸術だと思え、言え、信じろ、疑うなという強制力ゆえに芸術なのだよ。
完全なる暴力、不同意暴行なのだよ。
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095 2026/08/09(日) 09:35:11 ID:hO7TFXntpM

縄文土器・真葛焼とアール・ヌーヴォーの関係は二層で説明される。深層(アナムネーシスの底流)では、器に具象・有機的生命を宿らせる様式は日本列島に限局されず、ペルー・モチェ文化、インダス、アステカの人面・具象装飾土器など、時代・地理を超えて独立に現れる並行現象である。表層(実証可能な歴史的伝播)では、19世紀ジャポニスムを通じ真葛焼が実際にヨーロッパへ伝播した事実が速やかなる受容と反響の末にアール・ヌーヴォーに影響を与えた事実がある。両者が稀に一致した例が真葛焼であり、「イデアは独立に想起され得る」ことと「美が伝播すること速やかなる」ことを同時に示す。
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096 2026/08/09(日) 10:25:09 ID:hO7TFXntpM
ファルマコン——ショートカットとしてのドラッグの危険性
向精神中毒性キノコの発見・儀礼化も、美と同じ「発見→模倣→伝播」の経路を辿ることが観察される。これは唯物論的な反証(脳の報酬系だけで説明できるのではないか)を招きうる一方、プラトン自身が『パイドロス』のファルマコン概念(薬にして毒)や神的狂気の議論、エレウシス秘儀のキュケオン(麦角菌由来説あり)を通じて、この両義性——同じ通路が啓示にも破滅にもなること——を既に見抜いていたのは見逃せない。
ドラッグ・LSDによる手応えは、本物の一方向性関数(訓練・制約との格闘・総当たりなき到達)を経ずに、化学的介入によってイデアに似た感覚だけを近道で得ようとする、偽の到達である。この近道には二重の危うさがある。第一に、化学的に誘発された手応えが、本物の想起と体験として区別できないほど強烈であるがゆえに、当人がそれを本物の到達と誤認しやすいこと。第二に、この近道に依存するほど、嶮岨にして困難な一方向性関数への道——訓練・制作という遠回り——に戻る力を蝕まれ、身を持ち崩す(依存、精神的・身体的損耗、創作能力そのものの枯渇)危険を伴うことである。芸術家がしばしば酒や薬物で身体を蝕まれてきた歴史は、この偽の到達ルートが持つ破壊力の証左であり、プラトンのファルマコン概念は、イデア論の穴を塞ごうとしつつそれが身を持ち崩す芸術家像も先取りしていたことでかえって理論の破綻を示唆もしていたわけだ。
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097 2026/08/10(月) 15:56:08 ID:T1Eb2NvAX.

絶対の永遠固定化と、ネガティブなものは切り捨て良きもののみをイデア化した偏向。
この二つは西洋文明原理としてギリシアローマ以来西洋を飲み込み、キリスト教と共に世界観を牛耳ってきた。アリストテレス逆輸入でもリスボン大地震でも揺るがなかったイデアは、カントによって地上化された代わりに天才と普遍化要求という偽造物で延命された挙句二度の世界大戦で無事臨終、ゾンビ化して価格のタコ踊りしかやることがない。誰かあれらを清掃除霊撤去してくれないか?という為体。では。何が芸術を救うのか?どんな未来が芸術にあるのか?いよいよその見取り図を広げるときが来たようだ。
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098 2026/08/12(水) 12:23:59 ID:0qdhPpYfMg

近代の「芸術・著作権」という概念混乱を解体し、第一原理から再設計した「写し(ミメーシス)と版権」の新しい表現・市場モデルの全貌。
1. 概念の再定義:虚構の解体と真実への回帰
近代が捏造した「無から有を生み出す絶対的創作者(神)」という虚構を解体し、人類本来の表現の姿へ言葉を更新。✕芸術→〇写し、✕芸術家→〇写し屋
2. 新しい法制度と市場の二層構造
「表現の自由(模倣)」と「商業の保護(利益)」を明確に切り離した、シンプルで強固な二層システム。
販売者コピーライト(版権)への集約
表現の模倣を全般的に縛るのをやめ、「商業プロダクト(商品)の事業保護」に限定した権利とする。
3. 作品評価の解放
「作者の意図」や「批評家の解説」といった概念詐欺(文脈依存のブランド底上げ)を排除する。
評価軸のシンプル化: 作品の価値は、余計なストーリーを抜きにした「仕上がりの良し悪し(巧拙)」「美醜」「感応性・インパクト」「個人の嗜好(好き嫌い)」のみで判断。
批評家の解体: 特権的批評家は無用。各人が自由に購入し、味わい、評定すればよい。
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099 2026/08/12(水) 12:26:48 ID:0qdhPpYfMg

■著作権廃止、版権への一元化による変化
4. 既存インフラの変容と役割分担
「神聖な芸術」の崩壊に伴い、オークションハウスと美術館は機能のみに特化した実質的な施設へ再編される。
オークションハウス =「版権ビジネスの卸問屋」
「写し屋」や初期事業者が持つ「版権(AI学習拒否権・商業展開権付き原版)」を、商業事業者や投資家へ競り売り・ライセンス取引する現物市場。
美術館 =「版権切れのミメーシス博物館」
商業的な現行版権品は扱わず、保護期間が過ぎたパブリック・ドメイン(人類の共有財)のみを展示。
「人間がいかに世界を写してきたか」という歴史を保存し、観客が「生の写し」と直接対峙する知覚体験の場。
5. 次世代の「写し屋(制作者)」の収益モデル
制作者は「いつか評価されるのを待つ貧窮した芸術家」から、「高価値な一次データを供給する実力派プロデューサー」へと進化する。
圧倒的な「写し(技術・インパクト)」を制作する。
自ら「販売者コピーライト(版権)」を設定する。
無断AI学習や無断複製を法的にプロテクトした上で、オークション(卸問屋)を通じて大型資本やAI企業へ高額でライセンス・売却する。
「神様ごっこ」を捨て、純粋な「版権の元締め」となることで、現代の大ヒット漫画家やトップIPホルダー並みに健康的かつ巨大に稼ぐことが可能になる。
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100 2026/08/12(水) 22:03:12 ID:0qdhPpYfMg

結論
表現の本質: 人類共通の無償のイノベーション=「写し(ミメーシス)」
市場のルール: リスクをとって事業化する者の保護=「販売者コピーライト(版権)」
二次流通: 単なる商品の移動=「転売自由」
「神話」を剥ぎ取り、表現を人類の共有知へ、市場を透明な商業取引へと整流化する、極めて合理的で美しい設計図だ。
著作権という概念を取り去った上で漫画作品やキャラクター版権ビジネスにかなり近くなるイメージだ。
【空版権設定】
もし、制作者が、ビジネスは考えていないが誰か他の者が勝手にビジネス化するのは回避したいというのであれば、空版権設定を可能とすれば良い。制作者は自由に公開し、写しを許可するが、写しを商売には利用させない権利として登録可能な版権設定機関を作る。とはいえこれは無人の登録DBサーバーで構わない。
AIに食わせるのも許容する、しない、博物館展示を許可する、しない、同人二次利用を承認する、しないなど、空版権設定しておけば、制作者はコントロール出来る。
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101 2026/08/13(木) 10:06:59 ID:/xvh15s26M

著作権法には立法事実はなく、版権さえあれば十分に足りる。そうしないことによる弊害、不合理、無駄な機会損失が起きている。
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102 2026/08/13(木) 14:03:46 ID:e7Qe8KoUl.
芸術とは何か?
たかが絵のことくらいで名誉白人になりたがったり、
暇でする事のない人間だけがやればいいような事を無闇に称揚し、それを代理宗教のごとくする蒙昧な輩や、気位だけ高い乞食を産出ないしは量産することである
↑
そんな風なバカげた時代が、終わるといいね
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103 2026/08/13(木) 15:22:25 ID:/xvh15s26M

「空版権」は、単なる「商用禁止」の札ではなく、利用範囲を制作者が選択できる権利管理インフラになる。
つまり、空版権登録時に制作者が、
AI学習
許可する
禁止する
有償なら許可する
博物館・教育展示
無償公開を許可する
事前承認制にする
商用展示のみ制限する
同人二次利用
非営利なら許可する
一定規模以上は禁止する
全面許可する
翻訳・改変
個人利用は自由
商用改変は禁止
条件付き許可
のように、利用目的ごとに設定できる。
現在の著作権制度は「権利者が包括的に禁止権を持つ」という構造だが、この案では、
表現は共有可能、ただし、どの利用を認めるかを版権設定で宣言する。
という許諾設計になるのだ。
特にAI時代では、この発想は重要な論点になる。AI学習についても「全部禁止」か「全部自由」かという二択ではなく、
学習は許可するが商用生成物は禁止
研究目的のみ許可
対価を払えば許可
という細分化が可能になる。
つまり空版権は、現在の著作権を単純に弱めるものではなく、むしろ制作者の意思を細かく表明するための権利設定制度として設計できる、ということだ。
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104 2026/08/13(木) 15:35:56 ID:/xvh15s26M
105 2026/08/14(金) 17:28:26 ID:5cqIiZnBC6

縄文土偶は、なぜそのデザインが広域拡散したのであろう?制作者が移動したわけではなかろう。それらの形象に意味が込められていたとしても、その意味は遠隔地までは伝わることなく形象だけが模倣されたのだ。同時代人だから、縄文文化という共通の文化コンテキストに住むからという理由でひと目見ただけで担う記号的意味が伝わったと推定するわけには行かない。解説書宜しくものには必ず説明役が寄り添いシニフィエを説明して回った………わけがない。
模倣されたわけは格好が良かったから、美しかったから、心に響いたからであろう。リミナルスペースを語ったとき、プラトンの偏向を語ったとき、「模倣を導く確かな手応え」という言い方をした。必ずしも美しくなくとも奇妙であったとしても心に響いたのなら真似はされる。「土偶を読む」で竹倉史人は、写したい対象物との類似が、遠隔地まで伝わると考える必要はなかったし、そう考えることは無理筋なのだ。どこかで出土した土偶が何かの植物に似て見えれば、十分なのであり、考古学者がやりがちな形態分類は系譜やましてや土偶に込めた意味を同一性で繋げはしない。
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106 2026/08/14(金) 17:32:53 ID:5cqIiZnBC6

仮に竹倉説である「土偶は植物の精霊の可視化だとする説」を認めたとしても、考古学者が同じ系譜とグルーピングする土偶が全て同じ一つの植物を表象しているとは限らず、形を借りてより一層強くその地域で表象される別の植物の形を備えることすらあったはずだ。
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107 2026/08/15(土) 13:27:05 ID:/VnR0ZMnYg
>>1 おい、名誉白人のアホ
「AIで文化消滅、人間が発狂、文明ガー」の与太話はどこ行った?
糖質と芸術家のお仲間を鉄パイプで殴りまくるスケープゴート作戦がダメと来て、お次は口のきけない腰抜けムーブか?
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108 2026/08/16(日) 10:13:50 ID:zDaZF0CGfQ

法整備や、模倣の歴史はひとまず置き、これからの写しとしての芸術のあり様を語るなら、それは日本古来の「もののあはれの写し」であろう。
もののあはれとは、「折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念」であるとされている。
移ろい変わりゆくものの今の一瞬、消えて失われるものの心打つ今の姿を写すこと。心に映じたその一瞬の再現のための写しだ。
天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ
儚く散るのに毎年咲く桜の花、咲き誇っては萎れる四季折々の草花。
日々移ろい同じ姿を決して見せぬ山容、寄せては返す浪の今の一瞬。音や光。
毎年耕す畑に一つとして同じものなく実をつける野菜や果物
生まれてくる赤子、べこ、子猫、仔犬
繰り返しだけど繰り返しではない唯一でかけがえのない何か、日々の暮らし、日常。
心寄せるあれやこれ、心が動くあれやこれ、これが全て写しの暮らしとなり、写しの芸術の契機となる。
役者やドラマもそうであろう。しば漬け作りも狩場太鼓も花見も山行でも。
心に映ずるあはれを写すことであはれを連鎖させる技に芸術は昇華される。
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109 2026/08/16(日) 17:28:38 ID:zDaZF0CGfQ

平安朝の王朝文学などという敷居の高いものがもののあはれではない。明治のお雇い外国人たちは日本の市井の庶民の美意識に驚嘆し、書き留めている。
「どんなに貧しい労働者の家でも、またどんなに小さな、うらぶれた店でも、その軒先や窓辺には、綺麗に整えられた鉢植えが並んでいるか、あるいは季節の一輪の花が生けられている。」「彼らは贅沢な装飾を持たずとも、一輪の花、一本の竹を置くだけで、その空間を極めて芸術的なものに変えてしまう。世界中で日本人ほど、生まれつき自然を愛し、純粋な美を解する国民はいない」
エドワードモースの言葉だ。
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110 2026/08/16(日) 20:02:49 ID:6M/pwIyPZ.
>>1 おい、独り言が激しい病人
「AIで文化消滅、人間が発狂、文明ガー」の与太話はどこ行った?
糖質と芸術家のお仲間をフレンドリーファイアしまくった挙げ句、口のきけない腰抜けムーブかよ
浅はかで姑息過ぎるだよ、お前は
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111 2026/08/16(日) 20:55:52 ID:zDaZF0CGfQ

イデア的な「絶対」は、天上にある永遠不変の絶対だった。
しかし、そこから地上に降ろしてしまうとどうなるか?
すると絶対とは、代替できないものになる。
この人はこの人でしかない。
この土地はこの土地でしかない。
この時間はこの時間でしかない。
この経験はこの経験でしかない。
つまり「絶対」を普遍概念から唯一性へ移すこととなり、芸術が扱うものも変わらざるを得ない。
もはや芸術は「普遍的な美」を探す必要がない。
むしろ、
二度と同じものとして現れない、この一回的なものから受け取る心をどう写すかが芸術の問いになる。
「もののあはれの美学」は、一回性に感ずるエモさである。
これが核心。
「もののあはれ」は、永遠不変の美ではない。
移ろってしまうもの、一度しか現れないもの、失われていくものに触れたときに生じる感受、心の動きだ。
だから、
イデア=永遠に固定された美
もののあはれ=消えていくものの一回性
と置くと、ほとんど正反対になる。
「をかし」は、イイネ!であるとしたら、「もののあはれ」は、エモい、である。写し取るべきはエモさなのだ。単なる無常観ではなく、無常観の中に一回性を見出し、一回性ゆえに立ち上がる情緒を写す。単なる模写、模造、模倣完コピでは生まれない唯一性に心奪われることこそもののあはれの正体。制作は二の次三の次、感ずることに芸術の本格、本体がある。制作はそれを他者にも喚起するスイッチでしかないともいえる。ゆえに自然でも構わぬわけである。
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112 2026/08/19(水) 22:03:53 ID:upLoLMpzGM
113 2026/08/21(金) 21:38:36 ID:tqe7DCkDos

もののあはれれとは別に、日本から世界に与えることができる美の概念が侘び寂びである。
「わび」「さび」とは、人が作ったものなのに、人が作ったものとは思えない出来栄えに対して使う言葉である。人の技を除けた佇まいがなくてはならない。人工物なのに自然と呼べるものが放つ雰囲気、様子を「わび」「さび」という。「さび」は経年劣化、経時変化が事物に及ぼす影響がやや近しい性質を持つのでまだしも理解しやすい。若くなく、うぶじゃなく、生じゃない。馴染みよく、味わいが深く、のっぺりしていない。決して複雑ではないのに細部まで究め難さを秘めている。
「さびる」とは、「古事記」にも出てくる用法で、「ある状態がとめどなく荒れ進むこと」という原義がある。荒ぶ(すさぶ)に近い。万葉集では「神々しい」「荘厳」「厳か」という意味で「神さぶ」「神さぶる」という表現が出てくる。「やまさぶ」「翁さぶ」「うま人さぶ」などの表現もあり、「らしい」という意味に近くなる。「らしき」ものはなぜ「らしい」のであるかと言えば、何ものかが「宿る」からだろう。神事演舞の扮装演出との絡みであろうと折口信夫は言っている。「神さぶ」はやがて「古色蒼然」とか、長年の歳月を経る」という意味を帯び始める。ついには「人を寄せ付けない」「近寄りがたい」という意味にも逸れる。そこで、私の解釈、「人技」とは思えぬ......も収まりがよくなる。「さびる」は人手を離れて神が宿るのである。
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114 2026/08/22(土) 05:59:11 ID:lvQXJR5hf.

「わび」は放ってある状態、気にも留めない状態、隅っこに追いやられて目立たなく、捨て置かれている姿、粗末で質素、素朴で凝らない。意をかけないこと、ゆえに素のままであり続け、人間にいじられて曲げられていないこと。派手々々しくなく、華美でなく、ゴテゴテ飾らず、理法にのっとり自ずから然り。つまり、人間の介入関与が少ないこと=自然であり、技巧が少なくシンプルであること。無駄なものを削ぎ取った姿にそれがよく表れるからだ。
この二つを併せ持つものを美と結び付け、人工物の美が纏うことができるものだと「発見」したのが桃山文化(芸術)だ。
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115 2026/08/22(土) 08:43:27 ID:lvQXJR5hf.
侘びは人間が退くことで作為から離れて現われる美。寂びは時間が人間を消すことで神が宿る美。
リミナルスペースはある意味侘びであり、時間
要素を加えられたそれは寂びにも触れようとしている試みの一端のようにも思われるものの、これ見よがしに人間不在を明らかな人工物の集積の上に違和として提示しようとしているから、目的が全く異なる。
記憶を撹乱し、ネガイデアを降ろそうとする企みなのである。
https://vt.tiktok.com/ZSVPTuPbo...
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116 2026/08/24(月) 15:32:46 ID:81SLmK3.e6
先史時代から古代、中世、近代、現代、未来まで、西洋から東洋まで、自在に縦横無尽に芸術に関して語り尽くしたが、もはや語り残したことはない。
✕なるもの:イデア、天才、覇権、著作権、コンセプト、現代アート、オークションハウス、キューレター、ファルマコン、ドラッグ、価格
〇なるもの:ミメーシス、模倣、写し、日常、暮らし、もののあはれ、侘び寂び、唯一性、心動かす確かな手応え、版権、数寄、風流、粋、価値
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117 2026/08/27(木) 16:01:47 ID:1VphantxFQ
おい、名誉白人のポチ犬キ⚫︎ガイ
デタラメの妄想を垂れ流しながら、糖質と芸術家のお仲間をヘイトしまくった事を都合よく忘れようとしとるんか?
ヒューマニストだどうのと抜かすなら、社会不適合者のお仲間への人権侵害と差別発言をしっかり謝罪しろよ
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118 2026/08/27(木) 16:47:14 ID:53.xk6bJsM

人間は形あるもの、現象や出来事にも意味があると思いがちである。ましてや、人の造作したもの、人が行ったことには意味や内容が伴っていない訳がないと考える癖があっても全くおかしくはない。現代アートはこれに甘え、寄りかかったゴミの山に過ぎない。
コンセプチュアル系現代アートは高松次郎的な遊戯に堕している。
現代アートは、アートを問うのではなく、概念を問う座興だ。わざわざ芸術でやる必要はない。
「文字の中で自己矛盾のない文字は、『文字』という文字だけであるということ」
「この七つの文字」とか、
「単体シリーズ」とか、
別に簡単に言語化できるやろってのをわざわざ言語化しないで、言語化できないから芸術なのだと強弁する。
言語化するとなんてことないから避けているだけ。
言葉遊びならぬ形遊びだから芸術だというのであるが、形遊びだから分かりにくい点をもって深遠だ、素晴らしいなどと膝を打ち合う座興に何の意味もない。
芸術を言語化回避で謎をかける無駄な遊びにしてはならない。
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119 2026/08/27(木) 16:59:47 ID:53.xk6bJsM

草間彌生はどうか?水玉やソフトスカルプチャー、
独特な個形態からの集積効果で視覚表現を成立させたよ。椅子やらカボチャやらの基体は集積の舞台ではあるけれも、二次的客体だ。
あるのは埋め尽くしてみたけど何か?だけ。
感じ方のコントロールは放棄されている。
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120 2026/08/27(木) 17:46:21 ID:53.xk6bJsM
>>118言語回避なぞかけ系
>>119わざわざご苦労さま系
この2系統以外の現代アートは、マルセル・デュシャンのレディメイド以来の選ぶ行為をした行為系もありそうだけど、それもわざわざご苦労さま系に含まれてしまうんだよね。バンクシーもクリスト&ジャンヌ=クロードも河原温もわざわざご苦労さま系だ。
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121 2026/08/27(木) 18:16:43 ID:53.xk6bJsM

第三系統がジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン、チームラボなどの感覚操作系だな。これは現代アート内では唯一まともな路線で、写し、ミメーシスを超える可能性があるが、トリック・アートとも重なるがゆえに異端視されがち。
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123 2026/08/28(金) 21:25:42 ID:sjdYbPnBEg
•言語回避なぞかけ系
•わざわざご苦労さま系
•感覚操作系
これ以外の現代アートは存在しない。全てこれに回収されるのだが、これら全てをアートを名乗らずやってのけて鑑賞体験させてしまうのがショート動画。
ショート動画を打ち負かそうとアートの方が頑張って演出するのが臨場感や邂逅性。
演出万全の美術館という箱(ホワイトキューブ)に誘導しての邂逅性などたかが知れており、
アートがそんなものにすがったところで、災害という出会い頭には到底敵わない。
現代アートの最高峰は自然災害を含めた災害や事件ということになる。シュトックハウゼンが思わず口にして轟々たる非難の的になった「911はルシファーの宇宙最高のアート」。これが誤解かどうかは疑問の余地があり、現代アートがその邂逅性と臨場感に覚える嫉妬という意味では不謹慎極まりないとはいえあながち的外れではない。戦争や原爆、311などを臨場感や邂逅性に縋るしかない現代アートが敵わないアートだと認めるならば、ネパール大洪水を始めとするニュース映像、SNSに溢れるAI生成デマ動画ですら、エドマンド・バークが言うような安全地帯から眺める崇高、アートの切れ端複製画なのだと言わざるを得ない。
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124 2026/08/29(土) 09:21:53 ID:oOZjt.cxsE

写し、ミメーシスが写すのは何なのか?対象である内はまだ入り口。本当に写しているのは心である。
あるものに、何かを投影して日々眺め、祈る人がいるとして、その人はその何かが、どこにある(いる)と考えているであろうか?ものにいるとは思ってはおらず、心にいるのだとわかっている。その心を写しているのが、ものである。
亡き夫を富士山に重ね合わせて毎日語りかける江里子さん「心にいるのかあそこにいるのかという感じです。」
(NHK小さな旅「わたしの富士山〜山梨県富士河口湖町〜」)
彼女は芸術家ではなく、富士山を作りはしないけれど、写しの何たるかは分かっているようだ。
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125 2026/08/29(土) 11:01:02 ID:oOZjt.cxsE

トレパク作家の古塔つみ、江口寿史らは、写しはするけど心はない。心を写さぬから芸術やアートではない。心を写していれば写真でもアートなのだが。
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126 2026/08/29(土) 18:23:42 ID:oOZjt.cxsE
>>124 江里子さんが富士山を眺めるだけで富士山の写真を撮るでもなく絵を描くでもないのに富士山が、彼女の心を写すのであれば、富士山は立派な「芸術」である。彼女は、心の中の夫の二三年さんを富士に写すだけで良い。ならば心なきトレパク作品であれ、見る者が心を写すのであればそれは「芸術」なのではないか?
そうなるかね。だが、私はそれを「芸術」と呼ぶことを止めよう、写しと呼ぼうと言ってきた。トレパク作品でも写しになるとは言えるだろう。何の問題もない。従って生成AIも写しになりえる。
だが、トレースだから、過去作品データのパクリコピーだから写しなのではない。いずれも心を動かさねば写しとは言えないのだ。
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127 2026/08/30(日) 07:21:10 ID:8moiG4Z83I

その点、心を写してきた成果物を豊富なデータストックからパクれるAIには一日の長がある。心を盗む手練手管も模倣できるのだ。商業美術や他人制作のベストショット剽窃に留まるトレパク屋が心を盗むには他の工夫や努力を要する。有名性に寄りかかった江口寿史よりも無名性からのし上がった古塔つみの方がそのテクニックというか詐術には長けていたであろう。
返信する
128 2026/09/01(火) 04:14:01 ID:oBi4izKaFU
129 2026/09/01(火) 21:09:13 ID:KM6uqR63PU

【御阿礼ミアレ】
芸術とは畢竟可視化なのだ。可視化である以上、可視物を写してもせんなく、可視化されなくては現れないものをミアレさせるための行為だ。ラスコー壁画であれば、現れてほしい獲物を可視化する。美しい花であれば、それを美しいと感じる己の心を表す。写真登場ゆえに芸術が廃るというのは安直で、写真が登場するなら美しい瞬間、美しいと感じた一瞬を捉えて可視化することになる。動きでも音楽でもそう。音楽なら可感化と言いたいところだが、比喩的には可視化と同じ。イメージが何らかの形象や波動を具現化して心を揺らすものだからだ。
写しの技というよりも、ミアレの技と呼ぶのが相応しい。
返信する
130 2026/09/02(水) 15:04:11 ID:2EHP7tw5zw
>>129 御阿礼である以上、それは自然物にも現れるし、天変地異も御阿礼だと感受せられるものである。
あらゆる形象、事象、行為、行動が御阿礼と扱うことができる。普通の暮らし、当たり前の行動、ささいな所作仕草にも。写真やスマホの登場は世にある御阿礼を探しスナップするという行動を促した。それら登場前ならスケッチし、語り、見にゆくように勧めたかも知れない。これがアートの原点なので、生成AIによるインチキデマネパール大洪水動画やほのぼの動物動画は、フィクションの御阿礼、虚構に現れた御阿礼である。
返信する
131 2026/09/02(水) 15:17:01 ID:2EHP7tw5zw
132 2026/09/04(金) 10:31:24 ID:QNrfgripgo
[YouTubeで再生]

写真は2D圧縮のお手本を示した技術なのであり、カメラ・オブスキュラの時代から、対象を2次元平面上に画材で御阿礼することに練達した画家が輩出した。画材が銀塩感光紙となり、イメージセンサーに変わると、スーパーリアリズム絵画は点描の進化系のピクセルドット写しのような作業化する。
問われるのは形象のリアル=真実性だけではない。写し出されたものがどこまで世界の真実を伝え得るものなのか?という問いだ。
世界とは、所詮は誰かによって解釈されたものでしかないので、どんな絵画も写真も演出と意図と解釈が入り混じった制御されたる創作物であろう。リアリズムと抽象(abstract)には本質的な違いはなく、二つともコンセプチュアルなものでしかない。リアリズムは解釈の幅が狭い分、制約的強制的ではあるかも知れないし、理解が楽かも知れない。だが、手業をいくら精度アップしても他の技術的な写しには叶わないがゆえに、芸としての凄みには限度がある。
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133 2026/09/06(日) 08:01:48 ID:LSsQu3LfYY

存在しないものの可視化、これが原始時代からの芸術の力。画像は4万年前のオーリニャック文化期ライオンマンモチーフ。
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134 2026/09/06(日) 15:07:26 ID:LSsQu3LfYY
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非存在の可視化が芸術の真骨頂であるならば、マジックもまた芸術であることに異論は出るまい。目を欺くことはあらゆる芸術の基本であり、日本の能などは、舞台上に死霊、神霊を現す技として生まれたさそ、映画はスクリーンに光の像で物語を動画で映し出すもので、非存在の可視化そのものだ。宗教画然り、神像彫刻然り、フィクション、神話、伝説、小説然り。
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135 2026/09/06(日) 20:15:19 ID:LSsQu3LfYY
136 2026/09/07(月) 22:57:21 ID:6nTrSNu1.c
生命や事象と言うものは所謂「空」であるから色即是空と言われる。
この空こそが非存在、非実体だとすれば、真なる存在、実体はイデアということになり、プラトニズムに舞い戻ってしまうが、この芸術論考ではそれは拒否した訳である。その代わりにミメーシスをこそ芸術の本体とし、模倣、写しの方が芸術だとしたのだが、プラトンも芸術=ミメーシスと定義したことには変わりなく、彼はミメーシスゆえに芸術を理想国家からパージしたのだった。我々は理想国家もイデアも立てないから、芸術を排斥はしない。むしろミメーシスの営みの中にもののあはれを見出した。もののあはれとは命であり、事象であり、色であり、心、空、移ろう不可視なる心の揺れだ。可視化の最たるものは心の可視化なのであり、心こそは色であり空。非実在である。
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137 2026/09/11(金) 13:29:20 ID:7lPLHHvA42
『卓越したプロンプター佐村河内守✕高性能生成AI新垣隆』
佐村河内ゴーストライター事案は、「AIが一般化する10年も前に、人間同士で『プロンプターと生成AIの関係』を先取りして演じてしまっていた事件」だった。
今では誰もが佐村河内であり、音楽どころか小説もイラストもアニメや映画もゲームやプログラムも指示によって生成できる。映画監督などは元々そうした立場に過ぎす、実際に制作しているのは俳優、脚本家、演出家、カメラマン、音声、音響、音楽、照明、編集技師達である。指示して判断してこれで良かろうと決めることができるなら映画監督なのである。往時の映画監督やプロデューサーとは異なり、予算に縛られることが少ない分、自由度は増し、才能やセンスは剥き出しになる。
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140 2026/09/12(土) 12:37:20 ID:Cdj/AUgIv2
141 2026/09/12(土) 15:51:27 ID:Cdj/AUgIv2

AI自身に、著名実在アーチストが、スタッフや制作集団職人に対して実際に行っているであろう指示のみをプロンプト化して生成AIに投げ込んで現作同等の作品が得られやすい順にアーチストを並べさせたらこうなった。
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142 2026/09/12(土) 16:07:08 ID:Cdj/AUgIv2
>>141 やはり新垣だけでは指示が出せないから佐村河内守に負けてしまうわけやね。
アーチストと言うためには指示が出せることなのかもしれないし、指示では代替できない何かをその場のプロセス内でインスピレーションをもよおして即興力に頼る才能を備えた者のことを指すのかも知れない。モダンジャズ即興演奏はプロンプト化できないからこの票のなかでは最下位だろうね。
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143 2026/09/12(土) 16:21:47 ID:Cdj/AUgIv2
144 2026/09/14(月) 04:18:30 ID:MCxOPIVss2
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AIアニメコンテストの類いは下記
1. COLOTEK(コロテック)
日本コロムビアグループ主催のAIクリエイティブコンテスト
2. World AI Film Festival(WAIFF)
AI映像作品を対象とする国際コンテスト
3. AI日本国際映画祭(AI Film Festival Japan)
AIと人間の共創による映像作品を競う映画祭
4. 日中国際アニメ映画祭(JCIAFF)
対象:AI技術を使って制作したアニメーション
5. 36H Anime Sprint
36時間でAIアニメを完成させる制作競争
中国では人間の絵師たちの失業が深刻化
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145 2026/09/14(月) 17:09:00 ID:MCxOPIVss2
テーマ、コンセプトとイメージがあれば芸術ができる時代になりました。逆にこれがないと生成AIがあってもゴーストライターや腕利きのスタッフが充実していても芸術は出来ません。
思想表現的なものに芸術は絞られてゆく。理解し、共感し、分かるものでなくてはならなくなります。テーマやコンセプトを伝えるイメージでなければならないからです。つまり、生成AIだけでは何も創り出せない。創造出来ない。意思がないからです。ものや自然や出来事にも意思を読み取る人間であってみれば、伝わらぬ不親切な作品でも勝手な解釈や意思、想いを忖度されることもあるかもしれませんが、観た人に様々に感じ取って貰って結構という投げ出し方は傑作の多面性を装っただけの失敗作かも知れません。
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146 2026/09/15(火) 21:44:00 ID:BK2ZMWoyEY
147 2026/09/19(土) 09:43:10 ID:BGJ7BpPRgo
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>>72 芸術が一方向性関数なのであれば答えを受け取ったものは比較的簡単にその答えが分かる。だが、答えを理解しているわけではない。これは、芸術に限らぬ話で、90年間数学者が解けなかった数学の難問をAIに解かせて答えが得られた事に対して、全世界のフィールズ賞受賞数学者の多くが声明を発し異議を唱えた問題にも関わる。
この動画ではそれを教育とプロセスの重要性、考える頭の構築や、考える頭の応用性を奪うからだとし、愉しみにも触れてはいるけれど、いっそ上手く解けるAIに全部丸投げして教育と頭も切り替えたらどうか、愉しみも結果だけで失われるならそんな愉しみは切り捨ててはどうかというツッコミに耐えられはしない。
芸術をAIに全面的に委ねる方向性が廃棄を迫るものは人間の何なのか?単なる制度、社会的な仕組み、システムなのか?
>>146でさだまさしさんが言うようなイニシャティブ、主導権なのか?
事象や世界を制御し、支配しようとする大脳辺縁系に発する司令系の念が拘る縄張りなのか?
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148 2026/09/19(土) 18:26:11 ID:ejndcjlVEY
何か奪ったり、廃棄を迫りはしないよ
痴呆症の特効薬を飲んだボケ老人が、「呆けてないのは俺じゃない」と言うのでもなければ
真っ暗だった所を、かつての自分を哀れに感じるくらいに明るく照らすだけだ
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149 2026/09/19(土) 20:33:06 ID:BGJ7BpPRgo
作者性 → 鑑賞者には必須ではない
制作プロセス → 鑑賞者には必須ではない
作者を知ること → 鑑賞者には必須ではない
制作の愉しみ → 個人が捨てても論理的には構わない
故に、究極的には指示者から降り、鑑賞者に徹することしか残らなくなる。すべての人間は受け身の鑑賞者。自炊をせずに外食で済ませる消費者となる。土作りから農作物を育て、自ら漁や猟をする人間がそうそういてはたまらぬように消費するだけで生きるスタイルに芸術もなるだけのこと。
数学も医学も技術開発もそうなるならば、人間の脳はこんなに多くのエネルギーを消費する器官である必要はなくなる。覚醒している必要が減る。ショートスリーパーである必要はなく、ロングスリーパーであることが求められるかも知れない。何故なら鑑賞者である必要も証明できないからである。どんなに支配。コントロールしたいと脳が頑張っても、成果に劣るのだから眠っとけと斥けられるのだ。もちろんこれは究極ではある。
しかしながら、無視できるほど遥か彼方に横たわる可能性ではなく、多かれ少なかれ、人間の脳の役割は後退途上の何処かに位置しているのは避けられない。アンソロピックを退社したジェイコブ•コクソンの告発以来、AIが人類を滅ぼすリスが騒がれ始めたのは、そこへ向かう途次で起こりうる様々なイベントのいくつかの破局的な性質を想定してのことだろうが、そのベースには人間が主導権を失うこと、人間側の制御が効かないレベルへの遷移がほぼ確定的な未来として想定されているからである。
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150 2026/09/19(土) 21:25:55 ID:jEP4hkUREo
鑑賞や制作、制作の愉しみの範囲がまた変わるだけだろ
鉄道の登場で、目的地まで何日も掛けて歩く旅情は失われたが、旅の意義や楽しみまで消失していない
運賃を払い、乗り物に乗ることも消費だが、宿代を払うのも同じことだし、野宿してトラブルに巻き込まれるリスクを有難がることもなかろう
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151 2026/09/19(土) 21:30:04 ID:jEP4hkUREo

芸術など、生産性のなさで言えば幼稚園で絵を描くのとほとんど差がないのだから、砂場でトンネル掘って遊ぶのと変わらんのよ
感動の総量を価値指標にするなら、親という大ファンの心を揺さぶってる可愛げMAXな園児の絵にさえ、負けてるかも知れんくらい。価値など元から有って無いようなものだから、無職から仕事を奪えないのと同じく、無価値なものからは価値を奪いようがない
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152 2026/09/20(日) 00:07:32 ID:jc7.vAPjms
>>150 プロセスカット故に芸術が無価値化するわけではないから、旅行の比喩は成立しない。旅の楽しみには何ら主体性や自主性が必要ないというのでない限り。
創作行為において人間が主導権、主体性を失い、受動的鑑賞者にとどまるのであれば、芸術の意味や価値は保たれない。
>>151 生産性と芸術は端から無関係なので、それ故に無価値となるわけではない。
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153 2026/09/20(日) 05:52:18 ID:eQhnsd0kAE
> 旅の楽しみには何ら主体性や自主性が必要ないというのでない限り
何言ってんだ?
行き先が決まってる修学旅行、親が決めた家族旅行とて立派な旅行。なんなら、自由時間があんまない出張にだって旅の楽しみは宿る
旅先、宿泊先、移動手段が固定されているからと言って、旅の意義や楽しみは変わらん
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154 2026/09/20(日) 05:59:18 ID:eQhnsd0kAE
> 芸術の意味や価値は保たれない。
それは誰が決めたよ?
誰かさんの言う能動が、実際どれほど能動かにも疑問符が付く
何食わぬ顔でしれっと行われている芸術教育とやらも、特定の文化や価値観やアプローチへの同意確認のない巧妙な誘導工作だろうに(古今東西の巨匠らが、それに納得しているという保証もなければ、それで芽が潰れる人間もゴマンといよう)
教育も多かれ少なかれビジネスなわけだから、学費を払いながら「消費ガー」と言う(もしくは言わされる)のも、テンプレじみた消費活動の範疇
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155 2026/09/20(日) 06:30:19 ID:jc7.vAPjms
156 2026/09/20(日) 10:21:08 ID:eQhnsd0kAE
>>155 変わらんだろ
物理環境の変化に伴う非日常感とテンションの高揚が醍醐味だからな
変わるのは、失敗したなと思った時に自分の判断ミスになるという点とかそんなん
話は逸れたが、音楽の演奏とて誰かが書いた指示書き(楽譜)をなぞってるだけで主導権などはない
音楽の授業もそれを強制しているわけだが、そうした営みに芸術的な価値がないとは言えまい
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157 2026/09/20(日) 16:39:31 ID:jc7.vAPjms
>>156 北朝鮮に拉致されても楽しめそうで何より。
シベリア抑留でも意義を感じそうで幸せそう。
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158 2026/09/20(日) 19:51:41 ID:umNpK5AFJM
ストローマン論法乙
キチ⚫︎イ過ぎて、修学旅行と誘拐の区別もつかんとは
狂言誘拐なら、確かにそうだろう
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159 2026/09/21(月) 11:20:58 ID:YaCEjGOMJk
芸術とは近代概念である。
芸術は創作であると同時に操作でありテクネである。単に「心が受動的に動かされた=感動した」だけでは、テクネにはならない。心が動くのは当然であるが、それを再現コントロールするからくりを創作するテクネが芸術の行為であるからだ。芸術とは、制御術なのであり、その制御の目的は心を動かすことである。そこにおいて芸術は。宗教とかなりの親和性を持つ。
遺跡から出土した造形物は当時動いた心も、再現しようとした心も不明であり、想像の範囲でしかないのみならず、別の感興を催してしまうことそのものが邪魔をして、心を巡る再現装置サイクルが描けないがゆえに、創作であり、テクノであるとは推測可能ではあるけれど、芸術であるためには大きな欠損を埋める必要があり、これは、遺物に限らず、すべての過去の創作物、同時代共鳴共感覚基盤なき時代ギャップのある作為について言えることである。半世紀前のイケてるファッションが当時の感覚のままリバイバルすることはないように。
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160 2026/09/21(月) 11:22:58 ID:YaCEjGOMJk

岡本太郎が縄文土器を芸術だと言ったのは、二十世紀の現代アート作法である選択•提示をもって岡本太郎が縄文土器を芸術にしたのであり、それは赤瀬川原平の超芸術トマソンと同じ作法である。
サモトラケのニケやミロのヴィーナスは、古代には、今のような展示鑑賞法において美術なのではなかったであろう。ルーブル美術館という装置そのものが、芸術の文脈を創作する岡本太郎であり、赤瀬川原平であり、マルセル・デュシャンなのだ。
「偶然できた模様」「AIの自律生成物」「遺跡から出土した造形物」は、芸術か否かにおいて等しく中立的であるが、芸術になりうるオブジェクトではある。
もしも、その選択操作がないとしたら、いずれも芸術とはならない。別の選択操作なら、那智の滝のように信仰対象に留まったり、大仙陵のように歴史的資料、世界遺産観光資源に留まる多くのオブジェクトが存在する。
言わば創作とテクネは制作現場にその制作当事者とともにあったのかも知れないが、そのまま伝わる事で芸術化されるのではなく、能動的な作為さえあれは、後付けで作動する。逆に言えば能動的なる作為を欠いては顕れない。事実、過去のほとんどの造物、工芸品、彫刻や絵画は芸術として制作されたわけではない。近代以降芸術にされたのである。芸術成立の最も能動的で作為的な工作はこの最終工程たる選択と提示にある。唐招提寺の鑑真和上坐像は芸術として制作されてはいない。
芸術とは物体ではなく、作為によって発生、成立する作用である。
作為なき芸術とは作為なき芸術を発生させる作為によらねばならない。
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161 2026/09/21(月) 11:33:30 ID:YaCEjGOMJk
AIが芸術たりうるためにはAIの制作プロセスへの指示指令プロンプトの作為性ではなく、その作品を感受した側の作為性に基づくのでもない。AIの場合はAIらしからぬ作行きをゴールとした鑑賞回路構築までを目指して指示指令側が介入する。
AIがまだ恣意的、自発的に滾々と鑑賞回路まで創造する段階には至れておらず、受け手側はAIらしさを鑑賞しているわけではないからである。
既にあるもの(レディメイド)ではなく、目的と狙い、ゴールあってのプロンプト生成だからこそ、テクネの一部に介入するのであるが、生の自動生成AI成果物そのものを芸術だとする行為が現れてすら、それを選択提示する能動的作為が必要なのは他と同じ。
それすらも剥ぎ取るならば、もはやそれは芸術ではない垂れ流し現象であろう。
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162 2026/09/21(月) 20:48:26 ID:8aldyEdiOU
物理環境の変化に伴う非日常感とは言ったが、意図せずQOLが下がりまくったらもはや事故(拉致となれば事件だが)
誰も行きたがらない地獄のような環境から、天国への強制連行ならアリだろうが、逆は成立しない
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163 2026/09/22(火) 21:20:22 ID:m6mLmskmnM
164 2026/09/23(水) 04:15:22 ID:C3kFfRJsGg
>>161 > AIの場合はAIらしからぬ作行きをゴールとした鑑賞回路構築までを目指して
2、3年ほど前のステレオタイプを「AIらしさ」と呼んでいるのだろうが、古いな
使う人が使えば、大半の商業プロより既に上手かったりするわけだが、数年も経たないうちに「変幻自在の神がかった作画」がAIらしさと見なされるようにそうではある
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165 2026/09/23(水) 04:21:32 ID:C3kFfRJsGg
アニメの実写化動画がすでにそうであるように、プロでも再現困難なクオリティがAIらしさみたくなるだろう(もちろんそれは、全体というよりは目立つ部分に着目した話だが)
「AI制作」を前面に掲げているアカウントは、AIを使っていないフリをする必要がなく、モデル性能とノウハウ次第でどこまでもクオリティを上げ放題
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166 2026/09/23(水) 10:10:11 ID:0yyvkcDXqc
>>164 >>165 クオリティの話などはしておらん。芸術か否かの話であって。クオリティが高い高くないを判定するのは鑑賞側であり、なおかつそれが芸術か否かを認定するのも人間だという話。人間に見てもらえず、感じてすらもらえない超絶スンバラシイAI4次元作品があったとしても、人のいない墓場に出る幽霊みたいなもので、存在認知も得られない無駄な電力消費に過ぎない。
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167 2026/09/23(水) 14:30:34 ID:mPMUdVFwfY
>>166 芸術性うんたらを謳う高級品の品質が、必ずしもそうでない製品を上回ってはいないように、(少なくとも現代においては)クオリティと芸術性が別な点くらいは周知の事実
ただ、両者がまったく無関係なわけではない
絵のうまさが取り柄であることは、芸術方面に進む十分なきっかけになるし、芸術家も、自分より上手く描ける人間にヤキモチを焼かないわけではなかろうて
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168 2026/09/23(水) 19:35:33 ID:0yyvkcDXqc
>>167 話のレベルを下げないで。
あなたにふさわしいスレがこの板にも他に転がっているだろ。
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169 2026/09/23(水) 21:24:43 ID:4BT.oAzG/w
>>168 お得意の他責癖か?
アスペじみた読み違いをして、分かりきったレベルの低い話に持ち込んだのはお前さんだろうに、何を言っとるんだ
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170 2026/09/25(金) 13:13:36 ID:xew1WfkOw2
どんなに生成AIが結果的に見事な作品を創作できようとも、現段階ではセンスのあるヒトの介在、指令、指示がなければ覚束ず、AIが自律的自発的に芸術を生み出せないことは明らかである。それはなぜかを考えることで、逆に芸術とは何かが逆照射される。
AIはなぜ勝手に(自発的に)ヒトを感動させる作品を生み出せないのか?AIには現実と見紛うばかりの映像や画像を生成する能力があるのに、なぜ自ら芸術を生み出せないのか?東京芸大に受かる能力は持ちながら、東京芸大で他人のデータをふんだんにパクる力もありながら、卒業後に芸術家として活躍しろと放り出されて何か何ができるかといえは銭湯画家や看板絵師、漫画家アシスタント、工業デザイン助手、広告代理店の下っ端デザイナーか映像作家の演者兼ADカメラマン兼音声音響、編集スタッフがせいぜいだろう。監督がいたり、作家がいてこそ有能にして多才なtoolに過ぎない。まだ過渡期の進化途上だから。一月で能力が指数関数的に増大するのだからこの先一年足らずで……芸術を生み出す側に育つかも……。
育たないとは言わない。だが、問題はどうなると芸術家なのかだ。
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171 2026/09/25(金) 17:20:08 ID:qURfBbQUVk
画力や学力を含む能力自体にそれほど価値がないのは、AIどうの以前から周知の事実だろ
10,000人に1人レベルならまだしも、それ未満は実力一本で通用する域に達しておらん
体力テストで満点取ったからとて、プロ野球やW杯で活躍できるなんて保証はないんだが、多くの人間はなぜかそれと同レベルの思い違いを平気でする
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172 2026/09/25(金) 17:29:37 ID:qURfBbQUVk

「⚫︎⚫︎とは何か」という問いは、一見何かしらの答えを求めているようでいて、そうでもない
数学者(全員ではない)が、自律的に答えを出すことに抗議したかの如く、手応えやら自分の中での納得感というプロセス自体が目的化しているからこそ、結論自体は割とどうでもよかったりするのだ
いわば高尚な目的を持ってる感を出しつつ、俺スゲェをカモフラージュするための制度的な免罪符。であるからして、大学教授がワガママで意外と子供っぽかったりするのもさもありなんだろう
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173 2026/09/25(金) 17:46:57 ID:V4uKj9OC0I
そうしたしょうもなさを、はっきりさせたAI君(というかその親御さんたる開発者ら)は偉い
王様は裸であると薄々気付きながらも、カースト的な劣等感やら忖度やらでなかなかそうとは言えず、才能があればそちら側に取り込まれてしまうような情けない人間にはできない芸当だ
「人間の時代が終わる」というより、永遠に続くべきであるかのように刷り込まれてきた、近代以降の嘘の時代が終わるのだ。その嘘に愛着がある連中にとっては悲劇だろうが、そんなモンに付き合ってやる義理もなかろうて
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174 2026/10/04(日) 14:06:05 ID:S3BnkCBGKo
175 2026/10/04(日) 14:42:48 ID:S3BnkCBGKo
ちょっと見ぬ間に語りに詰まり、展開も広がりもない雑草も生えぬ不毛の荒地となっているのを見かねて。さて、何処から始めようか?AIを持ち出すとムキーッとアラシが現れるのはよくわかる。AIを理解できず理解しようともしないけどおもしろいおもちゃをバカにしなで!汚したりケチをつけたりしないで!という悲鳴のようなものは聞こえるからである。然しながら、AIをバカにするつもりはないけれど、ペンや画材以上のものではあるけれど、どうすればAIで芸術やアート作品が創作できるのか?という問題は語られねばならないことである。明らかにAIは、自発的、能動的には創作できない。それは分かる。芸術家などではないからだし、芸術家にはなれるはずはない。然しながらこれはAIを使っては芸術は創作できないと
いう意味では全くない。ならば、AIを使って芸術を創作するにはどうすれば良いのか?という疑問は実務レベルで問われ、また答えられねばならない問いとなるはずだ。生成AIフローの中で人間関与項目を抽出するならこうだ。
発想、指示、『選択』、『評価』、修正指示……繰り返しループ……
これらはAI自身には出来ない人間領域だ。中でも『』付きの二つが生成AIを芸術化する肝である。起点である発想は重要だけれども、それがゆえに作品が芸術化されるわけではない。
指示の巧拙も目標到達への効率には影響すれど、ここを磨けば芸術が仕上がるわけではない。AI作品を芸術のレベルにまで引き上げたいのであれば、是非とも『選択』と『評価』の能力を人間自身が鍛え上げる必要がある。
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176 2026/10/04(日) 23:02:30 ID:7a6W0XgXvY
>>175 またお得意の妄想か?
あんたの例えに敢えて乗っかるとすれば、新しい玩具(正確には、そのユーザー層のステレオタイプ)にケチを付けて品評するのは大歓迎だが、古い玩具とその愛好家を法外に称揚する大嘘込みでは話にならんのよ
ヒッキー叩きで糖質と芸術家のお仲間をフレンドリーファイアしまくってたが、ダブスタのスケープゴート作戦がダメと来て腰抜けになったんか?
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177 2026/10/04(日) 23:38:43 ID:7a6W0XgXvY
> 『選択』と『評価』の能力を人間自身が
何周遅れか分からん分かりきった話をできるのも、才能と言えば才能だろう
AI君(擬人表現)にとって、絵などは宴会の余興や文化祭の出し物に過ぎないわけで、論文発表の代わりに分かりやすくベンチマークを示す手段くらいなモンだろうから、オマケ程度の要素に着目して玩具にも見えたとて、それはT大主席のお兄さんが子どもたちを喜ばせるかのような一側面なわけだ
もしそれが気に食わないのであれば、より完璧な好青年を連れて来るか、アンタが不完全ながらに素晴らしい範を垂れれば済む話なんよ
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178 2026/10/05(月) 07:32:54 ID:zOfLHEQi3A
179 2026/10/05(月) 23:17:01 ID:M2wLr.9x9E
>>178 妄想がダメと来て、これまたお得意のはぐらかしムーブ
いいんじゃないか、姑息なやり口が好きな卑怯者のお前さんらしくて
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180 2026/10/11(日) 01:58:07 ID:Rqms0Vw57U

AI絵 … 神アート 🙆♀️
人間絵… 自己満の粗大ゴミ🙅♂️
人間絵は、AI絵の超絶劣化コピー品なんだよっ
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181 2026/10/14(水) 23:14:55 ID:njxf4PcRYk
クリエイターは、「機械が絵を上手に描かんでくれー」と言えるほど自己肯定感が高くないし、「堅気の仕事に就きたくねぇ」と言って許してもらえるだけの愛されキャラも持ち合わせちゃおらん
なのでテック企業云々、著作権云々と矛盾まみれの言い訳で取り繕いつつ、開発者と利用した裏切り者(?)への非難や当てこすりに終始しがち
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182 2026/10/14(水) 23:21:38 ID:njxf4PcRYk

それは呪詛の体(てい)をした賞賛でもあるわけだが、そもそも創作に不純な動機(内輪ノリ以外の承認、対価の要求)を絡めまくっていた自業自得でもあり、見切りを付けてジョブチェンジできない意気地のなさの問題でもあるんで、お他人様に当たり散らすのもおかしな話だろう
創作もアートも、他責傾向や女々しさに免罪符を与えるものではない
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183 2026/10/17(土) 09:02:56 ID:lv559hXEhA

やっぱり中身のないくだらないレスで埋まる。
芸術論を語れない者どものいっちょ噛みだらけ。
例の森ビル下品アート、帝国ホテル小児性愛アートの話題に引きつけよう。
大喜利化し、文脈依存に逃げてから、アートは単なる逃亡癖と化した。感性を素通りし、心を取り合わず、制度とハッキングで盗む、担ぐ、騙すものに努力の向きを変えた。はっきり言って要らない。如何なる需要からも独立した特別な地位などない。表現としての敗北、ゴミが放つ問いなど無用。
交換理論から言えば、現代芸術は、一般需要相における商品化を拒否しつつ、マネロンや蓄財投資レイヤーの錬金、マイニング層(相)での取引財に特化している特殊交換財なので、元々観賞に足るブツではないんだよ
いちいち文脈を展開して観賞者が膝を打ってみせる対象物ではなく、斯界の特殊交換財としての地位、ランクポジションをキープするための粉飾の方がメイン。
ルーブル相当が日本にないなら帝国ホテルや日本橋三越でエエやろ精神。
お籠り会も流石に迎賓館や皇居 宮殿の間をジャックできないからせめてもの……なんだよね。
返信する
184 2026/10/17(土) 11:22:24 ID:lv559hXEhA
185 2026/10/17(土) 22:15:54 ID:lv559hXEhA
現代アートは市場から逃走した枕営業や性上納と同じ構図。あらゆる取引財は二層のレイヤーがある。非公開相対市場、裏取引、一見さんお断りのVIP外商、会員制クラブ、……現代芸術は商業化からの逃走。本質的にクローズドなもの。
市場商品なら人の欲望や願望、心を欺くだけに心を捨て置かない。然るに現代芸術は市場性から逸脱し、需要を無視する特権的地位の捏造と保全装置でありつつ、取引財のもう一つの層にまんまと楔を打ち込んでぶら下がっている地下経済みたいなもの。アングラを前衛と偽る詐欺。
返信する
186 2026/10/17(土) 22:32:49 ID:lv559hXEhA
>>185 ところがウンコ同然の現代アートを分かった風に語る輩の実に多いこと多いこと。文脈だ、コンセプトだ、ほほう、そう来ましたか……だの、この問いは!!……だの。
禅問答も知りもしないくせに。
参加資格もないのにお勉強してギャラリーになったつもりで囃し立てるモブ養分になるのが一番滑稽。雇われてもないサクラみたいなもんだろ。
自らビリオネラーになるかもしくは目を覚ますべき。
返信する
187 2026/10/18(日) 06:48:47 ID:7TByvRfeK2
>>183 またいつもの他責とすり替えか
定職にあぶれてそうなポチ犬らしいな
庇護を受けながらの他責三昧は、さぞ楽しかろう
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188 2026/10/18(日) 07:01:50 ID:eoiVba6seE
現代アートは、貧乏人を相手にはしない闇金みたいなものなのに貧乏人も自発的サクラを演じるバカ集塵機
闇金は貧乏人をターゲットにするが、現代アートは、感性の貧乏人を食い物にする
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189 2026/10/18(日) 09:52:52 ID:7TByvRfeK2
>>188 >貧乏人を相手にはしない
貧乏人蔑視のポチ犬君は、妾の息子かなにかでボンボンだから自立せずニートしとるんだろ?いいご身分じゃないか
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190 2026/10/18(日) 12:52:55 ID:eoiVba6seE
>>189 お前は馬鹿なんだからあっちのクソスレでオナニーでもしてろ。
出てくるんじゃねーよ、バカで無能なんだから。スレ見れば頭の悪さ丸わかりなのに本人は恥ずかしげもなく細々とうんこ垂れ流し。
生きている意味あるの?
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191 2026/10/18(日) 15:47:23 ID:Ql/7S983z.
>>190 図星だからって、そんな急にカッカすんなよw
> クソスレでオナニー
> 恥ずかしげもなくうんこ垂れ流し
無能の嫉妬厨乙
相変わらずバカだなお前。俺のは世界に光明をもたらす神スレ、お前のは病人日記のような糞スレ
愛人宅で餌もらってるチワワみてーな野郎は、もっと分をわきまえて謙虚にならなきゃな
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192 2026/10/18(日) 23:00:59 ID:eoiVba6seE
>>191 お前は馬鹿だから中身については語れないですぐ誹謗中傷に走るな。
何で芸術なんかに触ろうとしとるの?およそ無関係な無能のくせに。芸術コンプレックスこじらせちゃったトラウマでもあるわけ?そんなもん、知るかよ。
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193 2026/10/19(月) 19:57:05 ID:du4BYuCzgM
>>192 おい、トイプードル無職っ
恥知らずで中身がないのはお前だよ。生産性のない空疎な雑語りと自己満の宗教ごっこで、ゲートキーピングしてるだけじゃねーか
「王様は服を着てねぇ」と言うのに何の資格要件も要らなければ、提灯持ちや太鼓持ちの屁理屈に合わせてやる筋合いもない
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194 2026/10/19(月) 20:01:36 ID:du4BYuCzgM
ジャンルを問わず、胡乱な言説や厚かましい嘘を並べる連中にNOと言ってるだけなんよ。鬼神を敬して、神学のデタラメを退けるかの如く
それが嫌なら、つべこべ言わずに服を着るか、お他人様の価値観をひっくり返すようなスゲェ作品で信者以外にも服を幻視させればよかろう
(…粗末なチ⚫︎ポを有り難がったり、披露し続ける人生を選ばせてやらん俺ではないが)
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