芸術とアートを分けるとしたら・・・こんなのどう?
芸術が「心」のコミュニケーションであることは分かった
だが、そもそも心のコミュニケーションにもいろいろあり、
そのうちの一つが、誰と誰のコミュニケーションなのかという分類だ
「誰」と言っても具体的すぎてよく分らないので
1対1、1対多ぐらいのざっくりしたカテゴリーわけで説明しよう
1対1のコミュニケーションに芸術は相応しくない
恋人に自作の下手糞な歌を披露するみたいな気持ち悪さをたたえる
しからば、1対多から芸術が関与すると言える、言おう、言うべきだ
「多」にもさまざまな階層があり・・・
長くなり、面倒くさいので結論を言えば、
芸術が普遍だなんだとぬかすのは、「多」を思い切り広く、大きく、時系列的にも長くとってのことだ
それこそ古今東西、未来永遠に残り、コミュニケートするためにどんな形象、スタイルが獲得されるべきか問題
パトロン向けごときでは普遍を僭称できない
普遍にこだわりすぎれば科学に接近しすぎる
しかるに科学では心には太刀打ちできない
そこで梃子として使役される、拡声器、狂言回しとしてのサークル形成、サロンてものが始まる
効率的に普遍を帯びる装置としてのルート構築に、何でも計数化できる貨幣価値、
つまり画商や画壇、批評家も登場する
より普遍的=媒介表示物としての金銭的計量=世界的に売れる=ブランディングだ
現代芸術はブランディングそのものであることにより、心を伝える
一方、「アート」はマス形成の効率的システムからのがれのがれて、
小さなライブ会場に、複数だが汚染度の低い同好の士を頼んでピュアなコミュニティを拠り所にする
「アート」はマスを拒否し(あるいは諦め)、普遍に重きを置かず、
より自由で身近な心の発露、表現に傾き、みんなのアート、下手でもいい、ナチュラルな創意、個性を標榜する
アートは芸術の都落ちである、あるいは確信的反芸術である、もしくは科学に接近しすぎでトリックアート状態である
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