「芸術アート」いう言葉が指し示すもの…


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001 2012/12/20(木) 21:57:01 ID:LY6pAxdGU.
「芸術アート」って、どういうものなんだろう?
あらためて考えたが、よくわからなかった・・・

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002 2012/12/23(日) 22:49:28 ID:G64np9dtTw
芸術アート=ひねくれ者のオナニー

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003 2012/12/24(月) 14:47:41 ID:Of5R782XeI
+そう思うことがわからないことへの言い訳

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004 2012/12/27(木) 16:29:48 ID:B0YPWIUTuU
削除(by投稿者)

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005 2012/12/27(木) 20:46:37 ID:bJanf3lLpM
芸術
アートとは
人間の感覚を刺激する一切
人間にとって
はたして感覚とやらがどんな意味をもつものかはさておき
感覚を刺激してやまない全ての「人間自身が生み出す」造作、企てを芸術・アートという

それが美しかろうが、好ましかろうが関係はない
大事なのは人間自身が生み出すこと

それだけだとジェットコースターもアートか?
となるんだが、アートなのだ。
料理もそうか?
そうだ。

美は関係ないのか?
関係ないって言っただろ

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006 2012/12/28(金) 16:59:09 ID:JZEMbE4.o6
なんつー低偏差値スレwwww

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007 2012/12/28(金) 18:11:13 ID:cPg4tfs7Hs
削除(by投稿者)

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008 2012/12/29(土) 21:06:27 ID:A/.TYYICdo
感覚を相手にしている以上
美が関係ないわけがない
好ましい、好ましくない、快・不快も無関係ではありえない。

一義的には関係ないとしても、
また、それだけにとどまらないと言うとしても、
感覚相手なのならば全部関係ある。

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009 2012/12/30(日) 09:25:57 ID:yc02AyZvu2
>>6
偏差値とは平均からどのくらい離れているかの数値。
お前の言う「平均」て何だよ? 言えないだろう?

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010 2013/01/02(水) 01:56:13 ID:vazSi7aaoY
いまだに感覚とか、情緒の面でしか芸術を語れない残念賞wwww

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011 2013/01/03(木) 07:44:09 ID:y09gDDjyNI
用語の意味を知らずに使うバカがここにも。

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012 2013/01/04(金) 02:41:03 ID:IW6hUN3OUg
アリファイトが華麗に1000GETするとともに、LUCK SHOWの完全勝利宣言!!!!1

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013 2013/01/04(金) 06:16:24 ID:dhfh0Db6jI
平均値μのものを偏差値50とする。
標準偏差σを10として平均値からの偏りを上記50に加減する。
これが偏差値である。
正規分布に従う母集団を想定している。

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014 2013/01/04(金) 21:17:53 ID:E.MrrXnlqo
[YouTubeで再生]
面白い番組を見つけた。1986年放送。浅田彰氏による。№1〜9

コンピュータ・シミュレーションから話を始めて、
テクノロジーとアートを考える。

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015 2013/01/04(金) 22:44:24 ID:OocOEZ7VHU
芸術は感覚やセンスだろ。
それ以外の何がある?
理屈?理論?原理?哲学?思想?科学?数学?
笑止。
分る人にはわかり、分らぬ人には永遠に通じないのが芸術。
分る人だけがシェアする好事家の密かなサンクチュアリだろ。
変態的な芸術だって成立するわけで。
万人受けなんか無理だろ。
センスのかけらもない奴は腐るほどいるんだから。

説明された芸術は偽である。
説明されることを欲する芸術は糞である。
説明ほど要らないものはない。
芸術を説明したがるアホは、なんだって説明したがるペテン師にすぎない。
空疎で屁のような言語の遊戯だ。

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016 2013/01/05(土) 03:35:55 ID:ux/QmZ3BS2
>>14
面白い。まだPART3までしか見てないけど、浅田彰は徹底して現代アートチックな思考の人だね。
テクノロジーによる自然や人間精神のシミュレーションを肯定して、そこで再現できないものを浮き上がらせることに意義を見出している。

人間のシミュレーションには必ずついてくる倫理的・宗教的な感性(による批判)を「センチメンタルなノスタルジー」と切って捨てている。これこそまさに現代アートの根底にある精神だ。

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017 2013/01/08(火) 02:02:32 ID:MtqjK7pYEo
芸術は自己の表現に始まって自己の表現に終わるものである。

しかし、その表現を感性でなくテクストに分解して
批評学の大きな流れをつくたカンディンスキーが
「真の芸術作品は、神秘的に生まれる」と言っているのは意外な気がする。

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018 2013/01/08(火) 06:50:22 ID:a81kHrsRig
作品が時代を越えて残るかどうかは、コンテクストを度外視した作品の強度である。
その作品の意味が解釈されたらゲームはおしまい。それでは到底、残らない。

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019 2013/01/08(火) 23:37:10 ID:PgIEUI/tOQ
私は芸術は情緒でしかなく、心でしかなく、感性でしかないと言いきっていいと思っています
それでは芸術論が成立しないので、様々な言語が芸術を取り囲んで一斉射撃し、各々の思想的背景を元に言語生産にいそしむのでしょうが、そこでは芸術は単なる出汁、薄っぺらにコンパクトにたたまれて語られるカリカチュア
だもので、芸術「論」は所詮「糞」なので、相手にする必要はありません
芸術は確かに科学と同根なのですが、同根なのに違う花を咲かせていることが全てなのです
日本人だから余計そうなのかもしれません
日本は、科学の代わりに安土桃山文化を生み出した実績があります
ポロックなんて遅れてきた琳派のなりそこないでしかないのです
芸術はシミュレーションではありません
複雑系ほど単純でもない
芸術は本質的にリアルではないのです
リアルではないのに現実よりも迫真的であることが生命です
それは、心の世界だからです
心の世界の正体が、たぶん、芸術なのだと思うのです

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020 2013/01/09(水) 21:05:03 ID:9lpJB1Hff2
せっかく浅田彰の面白い動画貼ってあるのに、またスレが低偏差値の方向にwwww

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021 2013/01/09(水) 22:33:30 ID:yX.oxGYzEw
49 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい [2007/07/30(月) 07:42:10 ]
音大出てる奴(女が多い)なんて駄目人間の上に寄生虫予備軍わんさかいるぜ?
おまいらなんて自覚してる分、まだマシ。

50名前:名無しんぼ@お腹いっぱい [2007/07/30(月) 08:42:14 ]
>49
あー、芸大や音大出は確かにキツイな。在学中は一人前のアーティストごっこを奨励
されて自らもそれに酔ってた連中が学内や部内だけでちっちゃな俺様有能世界を作っ
てたのに、世の中に出たらそんなもの全く通用しないリアルに突き落とされるんだから。

学生の作品発表会なんて覗いてみると、誰かさんのマネで背伸びした奴等が既存のデザ
インやイラストを批判しながら「アート」に浸ってるけど、そいつらも広告会社などに
就職して真っ先にするのがスーパーの安売り広告の数字切り貼りなんて幻滅するだろう
しな。
俺の周りでもそんな現実から逃れるべく40歳過ぎても専門学校を渡り歩いてる奴や、引
き篭もって一銭にもならない抽象画を描き続けてるダメ人間を何人か知ってる。

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022 2013/01/10(木) 03:26:00 ID:YYpCspfmLM
引きこもって一生絵を描いていられたら幸福だろうな。

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023 2013/01/10(木) 09:56:33 ID:mxPAf.5OPg
>>19
芸術の根幹が感性だとしても、
それをどう表現するかが芸術だし、
術とは妙言だと思ってみたり、
それで言えばなぜ芸術論が糞なのかをバランスとしては具体的に七行くらい割くべきたったり、
ポロックはその批評に目を向けてやるべきだったり、
さりとて芥川の言う日本画家の落款の
話を留意してみたり、
とどのつまりの結論が心などと言う俗な表現で許されるのかと思ってみたり。

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024 2013/01/10(木) 11:39:50 ID:PlGVLpRAIo
「志」のある絵画が真正のもの。
そうでない「絵」群と一線を画すね。

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025 2013/01/10(木) 16:13:42 ID:YYpCspfmLM
まあ大半の人間にとっては所詮嗜好品だわな。

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026 2013/01/10(木) 16:54:14 ID:CJ7kPkRr1U
「感性」とか「志」とか「情緒」とか、芸術を言葉で語れない低脳の都合のいい逃げ道として機能してるよなwwww

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027 2013/01/10(木) 16:55:27 ID:ylYdGlEE0Y
技術は磨けるけど、感性が磨けないからなー。

着彩や石膏デッサン如きが多少、うまい奴は掃いて捨てるほどいるし、そん
なもんが上手いからと言って選ばれた人間ヅラできるほど世の中が生ぬるい
場所なら誰でも今日から芸術家。

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028 2013/01/10(木) 18:46:24 ID:YYpCspfmLM
>>26
まあ値札付ける為には必要だよな、観念の数値化とか偏差値とかww

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029 2013/01/11(金) 00:00:35 ID:K/9MEZDKqM
要するに、芸術はいろんな素材使う。素材は時代によって異なる
素材の違いで近代性とか現代性とか言ってみても目指すゴールまで異なる理由はない
じゃあ、そもそも芸術は人間のどんな営みといえるのか?
それを外野が屁理屈を並べて、もっとも空疎な言語芸術の一種である批評分野でどう扱われるか=芸術の本質ではありえない
専門家があらゆる分野で敗退するこの「マネーボール」の世の中で、
芸術家という専門家だけが逃げのびると強弁するつもりもないのだが、
事実上、逃げのびるだろう
なぜなら、もっとも本質的な部分で「心」だけが解体不能だからだ
心は脳ではない
心が持つ翼のうち、もっとも飛翔力のあるものを芸術と呼んでもいいかもしれない
その意味で芸術から自由は奪われるべきではなく、
芸術は行為であり、
捕まえるべきもの、腑分けされるべきものでは最初からなく、
勝手に飛び出すものであり続けるべきものだ
芸術の本分はそこにあり、どんな誘惑に駆られようとも籠に入れてはいけない

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030 2013/01/12(土) 02:42:26 ID:fv8s1bzubY
こういう話題になると「情緒、感性」vs「批評、ロジック」という流れになるけど、アリファイト
から言わせれば前者は最低限必要なもので、その上での批評とロジックだ。

美しい絵、壮麗な絵を描くヤツが評価されるのが古典アート。それは皆が同じ直線上を走る
時代の芸術であり、近代の進歩史観に裏打ちされた芸術。(皆が同じレースを走っている)

対して現代アートでは最も美しい絵も最も醜い絵も評価の対象となる。なぜなら、近代の進歩史観が
絶対ではない時代、つまり現代という時代のアートだから。(各自がそれぞれのレースを走っている)

そうなってくると、現代においては自分で自分のレースを設定する必要が出てくるわけで
そこで必要なのが言葉であり、批評であり、ロジックだ。それを認識した上であえて戦略的
に言葉を捨てるのもありだし、批評とロジックを積み重ねた上で一周回って感性に行き着くのもあり。

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031 2013/01/12(土) 04:38:48 ID:/aJKYoKcqI
論理的な志・目的を遂げようとするために理性だけでなく感性にも同時に訴える。
社会的コミュニケーションの基本。藝術には論理も感動も盛られている。

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032 2013/01/13(日) 04:09:38 ID:9JnYdzAVL6
数が少なくて多くの人間が欲しがるから高い値段がつくのであって、大量生産
がなされれば値段は暴落する。いくら論理的に語ってわかった「つもり」にな
ったところで、そういう芸術作品を作れるようになるのか、というとこれが全
然できない。

毎年、絵画でも演劇でも音楽でも多くの若い人間が芸術の道をあきらめていく
が、論理的にわかる(=人が理解できる)というならそんな虚しい現実は無い
と思うが。

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033 2013/01/13(日) 10:30:29 ID:dnrgl6hkEI
①論理と感動を同時に届けるには技術と識見が要る。

②金銭的成功または経営的持続のためには
更にマスコミのバックアップが要るんだろう。

しかし、そんなくくりを抜けている人、例えば、
YouTubeに自らの録音を掲出している演奏家は
新しい時代の表現・伝達法を選んでいると言える。

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034 2013/01/14(月) 19:48:00 ID:UPRUpwXC02
air_faight☆さんは数値的分析の必要を説くのであれば実例で示してほしい。

「偏差値」という用語を不用意に遣う軽薄なお人だからムリだろうとは思うが。

「air_faight」を「アリファイト」と読むんですか?(失笑)

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035 2013/01/16(水) 23:57:08 ID:zojHAydtGo
芸術、アートも、コミュニケーションの具なのだな。
心から発し、心に届くことで目的を達する。
芸術論は、芸術とは無関係な何かで、芸術論が芸術を促進することは金輪際ないだろう。
芸術がシミュレーションだというのであれば、とらえどころのない「心」のシュミレーション。
音楽であれ、歌であれ、絵画であれ、彫刻、陶芸、ダンス、映画、アニメ、演劇であれ、
出発点とゴールは「心」。
いろいろなやり方、道具、表現方法で追及する焦点には「心」。
カオスでなく、秩序でもない中間域の「空」に存する湧き出るバリエーション。
色即是空、空即是色の「空」は、漢字から連想する意味は多分誤解で、
虚しいのでも、空虚なのでもなく、
そこしか生命は存立できない「間」(中間域)のことなのだろう。
大したことは述べてはいないのだ。
よって、
芸術がその「間」に存在すると言ったところで、芸術は成らない。
芸術とは、行うことであり、行為、アクションである。
つべこべ能書たれずに、おまえは何を表現するために何を用いるのかと問われている。
言葉です。論理です。言説です。ロジックです。方程式です。科学です。
そりゃ芸術から最も遠いよ。

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036 2013/01/17(木) 10:03:00 ID:0AUFli9c5E
>>35
説得的に語ってくださった。

受け取り側の胸中に何かの新展開を引き起こすことが表現の目的。

表現意図や工夫がどの程度伝わったかをフィードバックしてやる
他者(評者)の存在も必要。独り善がりに陥らないように。

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037 2013/01/17(木) 22:51:26 ID:oGhe2k58yc
千住博氏が同じことを言っているような

「まずはグレートコミュニケーターであれ」「イマジネーションのコミュニケーション」

絵画であれば、うまく描こうとするのではなく、
メッセージをなんとかして伝えようとして夢中で描き、
その気持ちが伝わったとき、初めて「芸術」行為が行なわれたと言える

「自分の気持ちをなんとかして伝え、みなさんどう思いますか?と問いかけ、
そして皆で仲良くやろう」これが芸術

自分の気持ちとは何か?絵の場合、視覚情報が全てのように感じるのですが、
五感で感じた全て、例えば風の音だったり、座っている場所のひんやりした感じだったり、
という全てをキャンバスに総動員することが大切だ

「芸術とは、イマジネーションのコミュニケーションです。
自分のイマジネーションを、なんとかして伝えようとする(コミュニケーションしようと思う)その心が生み出すもの。
これがあるものは全て芸術なのです。
ですから人間がなにかを作ろうとする、表現しようとすることは全てが芸術的行為なのです。」

料理に例えるとどうやって食べさせたいと思うか。
どうやって食材の良さを引き立たせるか「イマジネーション」(伝えたいと思う気持ち)する。
その料理がおいしいかどうか問いかける「コミュニケーション」。
何かを伝えたいと思う心意気、または心意気に対する感動が『芸術』

まあ、当たっているですね。

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038 2013/01/18(金) 03:23:57 ID:5BL0lSWr56
air_faight ってあっち行ってんのか?

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039 2013/01/18(金) 16:27:06 ID:MIVXoX3aWE
>芸術がシミュレーションだというのであれば、とらえどころのない「心」のシュミレーション。

数学にも虚数なんてあるが、あれは心のシュミレーションじゃねーの。

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040 2013/01/20(日) 01:51:15 ID:ZoamAL5GyA
「■芸術アート」ってのは、同じ意味の言葉を重ねて強調してるのか?

「■野球ベースボール」、「■動物アニマル」とはなっていないし強調でもないのか?

タイトルつけた人の気持ち的には、「芸術=アート」ではないのかな?

この図のような想定なの?

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041 2013/01/21(月) 23:51:33 ID:UOY8zS9OL6
芸術とアートを分けるとしたら・・・こんなのどう?

芸術が「心」のコミュニケーションであることは分かった
だが、そもそも心のコミュニケーションにもいろいろあり、
そのうちの一つが、誰と誰のコミュニケーションなのかという分類だ
「誰」と言っても具体的すぎてよく分らないので
1対1、1対多ぐらいのざっくりしたカテゴリーわけで説明しよう

1対1のコミュニケーションに芸術は相応しくない
恋人に自作の下手糞な歌を披露するみたいな気持ち悪さをたたえる
しからば、1対多から芸術が関与すると言える、言おう、言うべきだ

「多」にもさまざまな階層があり・・・
長くなり、面倒くさいので結論を言えば、
芸術が普遍だなんだとぬかすのは、「多」を思い切り広く、大きく、時系列的にも長くとってのことだ
それこそ古今東西、未来永遠に残り、コミュニケートするためにどんな形象、スタイルが獲得されるべきか問題

パトロン向けごときでは普遍を僭称できない
普遍にこだわりすぎれば科学に接近しすぎる
しかるに科学では心には太刀打ちできない
そこで梃子として使役される、拡声器、狂言回しとしてのサークル形成、サロンてものが始まる

効率的に普遍を帯びる装置としてのルート構築に、何でも計数化できる貨幣価値、
つまり画商や画壇、批評家も登場する

より普遍的=媒介表示物としての金銭的計量=世界的に売れる=ブランディングだ
現代芸術はブランディングそのものであることにより、心を伝える

一方、「アート」はマス形成の効率的システムからのがれのがれて、
小さなライブ会場に、複数だが汚染度の低い同好の士を頼んでピュアなコミュニティを拠り所にする

「アート」はマスを拒否し(あるいは諦め)、普遍に重きを置かず、
より自由で身近な心の発露、表現に傾き、みんなのアート、下手でもいい、ナチュラルな創意、個性を標榜する

アートは芸術の都落ちである、あるいは確信的反芸術である、もしくは科学に接近しすぎでトリックアート状態である

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042 2013/01/22(火) 16:44:49 ID:DCR.THdc2o
芸や術が無くても良いのがアートだと思うw

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043 2013/01/22(火) 23:18:35 ID:dPEIeuL.8E
じゃあ、芸や術のない「アート」って何よ?
なにゆえに存在を許される代物なの?

その前に、そもそも芸って何よ?芸は身を助くの芸って何?
術って技術?技芸と芸術は同じなの?
芸の技術があればいいの?

芸って、人間が行うことのうち、その振る舞い、行動が衆目にとって鑑賞的に好ましい価値を帯びていること
突出し、優れた行動パタン(能力)が、他者の受け的に比類ない超越域に達していること
人に見せてナンボのアクションのうち、持続的に感興喚起力のあるもの

術は教えることができるもの、教育メニューに組み入れることが可能なテクニック修練

てことで、習得可能な技術に堕した人たらしの術みたいなものが「芸術」だと?

で、それがないのがアート?アートって何?

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044 2013/01/23(水) 02:31:14 ID:X2V5sr9G12
アリストテレスは美に触れて快い感覚がもたらされて、心の浄化作用を
起こすのが芸術といったらしいが、数千年定義に変化は無いだろ。

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045 2013/01/23(水) 02:39:15 ID:Z4WeYckMzs
芸術論をアカデミックに学んだことがないので
頓珍漢なことを言うかもしれないけど、
個人的には芸術もアートも同じものじゃんと思う。

それを区別したがる人は、「芸」だとか「術」に
大衆性とか小手先のテクニックのようなものを見出しては
聖別ならぬ“俗別”されたものとして忌み嫌う。
というよりは、聖別された自分を尊いものだと思う。

そういうプライドは表現者には勿論あっていいものだと思うけど
それに拘泥して執着するのは、不遜で尊大なアウグストゥスwとも言えるんじゃないかい。

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046 2013/01/23(水) 02:41:27 ID:8WRbj1S98o
雅楽、文楽、能等の「芸」。書画、彫刻等の「術」の事だ。

個人的には日本の芸術には精神性の追求及び鍛錬する為のツールとしての役割もあり
アートにはそういう観念が無いと言う差しか知らないっつっただけだ。

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047 2013/01/23(水) 23:59:07 ID:fnGpJTpPxI
>>44
心の浄化、カタルシス・・・
シェイクスピアの福田恒存も踏襲しているですね
本当かなって思いますけどもね
受け手の気分転換みたいな、創り手不在の芸術観に偏しているように感じます
でも、一理ある

>>45
芸術とアートは訳語にすぎず、辞典的に同じかもしれませんが
日本語の語感では何か違いますね
区別する概念が西洋になくても、日本語で差異が嗅ぎとれるなら、それは何かある証左です
欧米言語宇宙が絶対であるはずもない
私は差異があると思う
その差異は、いずれ西洋人も感じ取ることができるであろうとすら思う
その差は041に記しました
神に接近して「普遍性」を獲得する時代も去り、近現代芸術の「普遍性」は何が担保するかを追う時代も、すでにかなり過ぎましたね

>>46
芸はアクション、術は造作物、工作物、成果物。・・・なるほどです
術は、「まねできる、教えられる、教育できるできない」ではないのですね
でも、アクションや造作物はアートにもありそう
精神性の追及か・・・心のコミュニケーションなのであれば、端からあるような
アートにもあるような

でも、アートは、何か割り切りが漂うのです
何かをあきらめて、重心をどこかに移しているような
アウトサイダーアートとか
主として、いやらしい画壇の「ハガキ大いくら」の世界からの距離感と言うか

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048 2013/01/24(木) 06:11:17 ID:RsiCEx.C/w
中原中也は色んな詩人から影響を受けて、変遷していったらしいが、詩作品は詩人の人生
観、世界観の全的な表現であるべきであり、芸術の技巧論に関しては不可能だ、という主
張を既に10代の若い時から持っていて後年まで変化はなかったらしい。個人的にはそれに
全く同意で小手先の技術云々が純粋芸術で物を言うとは到底、思えない。
それは洋の東西の作品を問わない。

作品を見て、そういう全的な表現か小手先の技術的表現かの違いについて判別可能な奴は
判別可能なんだよな。

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049 2013/01/26(土) 00:13:57 ID:V9GuBnobwo
表現とは、「生きている実感」を形にすること。
表現者は、人々と自分の「想い」を分かち合うために、
その「想い」を形にする。


草刈民代(「三井物産」新聞広告2012.1.25)



ガウディのグエル教会でぐにゃりとした椅子に座ったとき、クライスラービルから突き出た鷲の頭部へよじ昇って摩天楼を見たとき、マン・レイのアトリエでくぎの出たアイロンを握りしめたとき……。

ここにいたい、これが欲しい、ずっと愛(め)でていたい……そんな欲望と願望が湧く。だがそんな心の動揺こそが、ものを創る力の原点であり、僕には写真を撮らせる力の源のように思える。

無限に続く銀色の列柱が黒い水と戯れている。ステンレスの硬質で冷たい光が黒い波に突き刺さって揺れている。なんという美しさ。至福の時間。

篠山紀信

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050 2013/01/31(木) 04:40:41 ID:N4BIk2uLK6
>>34
いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、これはまったくもって困ったぜBABY♪
芸術の数値的分析とは、とてもじゃないがこのアリファイトの手に負えるものではない………………………………………………

ppppppp、なぜならアリファイトは一言も「数値的分析の必要性」なんて説いてないからな!!!!1

いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、どこをどう読めばアリファイトが「数値的分析の必要性」
を説いているように見えるのかwwww

感性派のBABYは自らの「感情」に基づいた行動でしっかりと「低偏差値」っぷりを披露
して、アリファイトの正しさをSHOW MAYしてくれました!!!!1☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

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051 2013/02/25(月) 19:23:31 ID:g3fdBRUHhY
「芸術」の「術」は「すべ」とも訓読する。「すべ」は方法。
「芸術」には「卓越した技術」というニュアンスがある。

アートartの語源はラテン語アルスarsである。
これも技術と訳される場合がある。
(例)書名「アルス・アマトリア」=性愛の技術

表現こそが幸福の中身だというふうに見ることができる。
一人ひとりの表現行動を、卓越した芸術作品が導いてくれる場合があるだろう。

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052 2013/02/26(火) 00:10:45 ID:Omcu5UFHng
個人的な印象論になるのを回避して抽象的な会話になるのは仕方ないが
少し言語の問題にもなってきている
ただ、artの日本語訳を「芸術」だとして「術」の面を強調するのは無理がある。
sportの日本語訳が「体育」とする様なマズさを感じる。
明治期の日本人がそう訳したんだろうし、それを日本固有の物と鵜呑みにしてもいいけど、
問題にしたいのは、アートがみんなに根付いているかという事で、
その意味でsportは根付いていない。jリーグはある意味で成功しているけど。
箱根駅伝や高校野球はsportではなく、宗教に近い。

スポーツはルールを作ったり、解釈して遊ぶ事だけど、駅伝や野球にはそれがない

何が言いたいかというと、明治期に輸入した固有の領域のない概念が、
急激な近代化の果てに
狭い共同体に閉じられている事。それは単に貧しい事だと思う。
それはジャーナリズムにも、哲学にも、科学にも、文学にも言える。
大体の学一般に当てはまる。

artを、訳すとしたら「おもしろい事」ぐらいでいいと思う。
日本の社会で面白い事を集めたのがartでいいと思う、意味を閉じるのではなく開くべき

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053 2013/02/26(火) 13:50:16 ID:AplLWBvLJw
画壇・詩壇・文壇・等々の狭い共同体にも
俗流が蔓延って(はびこって)
ボス支配と半可通連中の「こけおどし」が横行している。

そして周辺に、見るべき志のある人が散見する。

こんなふうに純化を求める志向は満たされることが無い。
あらゆる分野に商業化・形骸化の波が打ち寄せる。
右往左往するポンツクども。

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054 2013/02/28(木) 16:29:23 ID:0s6fVGF1IQ
まあここは明和なのだし、個人的な印象論でもなんでもいいではないかw

まず語を整理してみよう。
ラテン語、ドイツ語、フランス語、英語共に、芸術という言葉は「技術・方法」を意味し、
それが「何の」方法なのかは語自体に含まれてはいない。THE ART(あの方法)というわけである。
日本語の「芸術」という語の成り立ちは多少の紆余はあっても、同じ意味として話をすすめるが、
この語の下位カテゴリーとして絵画、彫刻、舞踏などの視覚芸術、音楽=聴覚芸術、
そして歌を含む音楽と書などの「言葉を含む芸術」が存在する。
舞台・映画などの総合芸術といわれるものも、ある。

これら芸術はその始源においていずれも呪術的な要素を含んでいたことは間違いないだろう。
日本の縄文式土器は祭祀的な状況下でトランス状態の制作者によってすばやく作られた、と考える研究者もいるようだし、
いまも存在するモロッコのジュジュカ村の音楽家たちはマラケシュなどの都市部の人々の様々な「病い」を治すために呼ばれていた。
芸術はその洗脳性あるいは脱洗脳性によって人間の意識を「治癒」するという機能と使命を持っていたはずである。

現代日本語の「癒し」というのを使うと何かうさんくさくなるので「治癒」と書いたが、
「意識を治癒する・させる」としても具体的になにがどうなるのかは表現できない。
これは個人的な見解だが、この表現のしにくさが、芸術=アートがただ「方法」と呼ばれるに至った原因ではないだろうか。

たとえば、ある絵を見て、「心が洗われるように」感動する。
この時、その絵ははっきりと、本来の芸術として機能していると考える。

たとえば、ある「いわゆる現代アート」を見て頭を抱えて考え込んでしまう。
それは芸術ではないと断言していいだろう。

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055 2013/03/01(金) 04:38:06 ID:N.aqEcAP46
漢字学の本で「詩は呪術起源」とあったのを思い出した。
「呪術」というと字面から悪い印象を受けるかもしれない。
自分などは「詩は祈り」と思っている。

「詩経」や「楚辞」を看ておくと良い。

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056 2013/03/03(日) 10:48:18 ID:AbKatrWe7o
芸術は心、精神、魂に関係する
これらから離れて存在できない
ただ、心の獲得した表現や形が、他者の心にも同じような心の状態をもたらす媒体として機能するかどうかだけでは物足りないのも事実である

創り手にとっても、受け手にとっても、その媒体を介して伝わるものが「心揺さぶられる」体験レベルにまで高まっていること、
そしてそれが場所や時間を超えて限りなく多くの人にとって共有されること

ある種の芸術は一回性であり、限定的で、そこに居合わせた人全部を巻き込むが、何も残ってはいない
多くの芸術は、その場限りで終わり得る
ただ、証人のように、記憶し、語り、記録し、評判を残すだけだ
それすらもなく、多くの芸術が幻のように浮かんで消えたことだろう

反面、現代では、多くの人々に伝え残すことができる媒体が、芸術そのもののように錯覚される
心揺さぶる安易な仕掛けが、そのような簡便なコミュニケーションツールと共謀して芸術を詐称する

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057 2013/08/06(火) 15:36:41 ID:sMYzytOBkM
>>56さん

めちゃくちゃ納得するイイコト言ってますね、感動。

安易な媒体だけれど、現代ではネットやツベの存在は大きく貴重だと思います。

自分以外の他人の人間が一人でも共感する芸術であれば、存在価値はあるのかもしれないですね。

「全人類が感動するアート」、それが存在するのかは自分は解かりませんが…

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058 2013/10/31(木) 00:41:38 ID:z/mP1Orju2
たった一人を感動させる企てじゃないから芸術なのでしょう。
たった一人でいいのであれば、それこそ、巷で愛を語る多くの若者たちが立派な芸術家を演じています。
何だか知らないけれど、できる限り多くの人に対して感動の伝達を試みる時代が紀元前600年くらいから始まりました。普遍性への飽くなき希求モードつーか。
「芸術」の懐胎、胚胎もそのあたりからなのかと。
それ以前の部族や共同体でも、十分に普遍的な美の創造は共有されていましたが、普遍性などいうものは概念すらない。
なぜか、紀元前600年くらいなのです。何が起きたのかはつまびらかではありません。
ですが、そのころ、後の人の呼ぶ「世界宗教」やギリシャ哲学が発祥しました。
世界観、世界意識と同時に個人(個我)が生まれたようです。
全人類概念とともに、汎世界主義的な統合の礎として、真、善、美のうちの「美」も昇華しました。

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060 2013/11/05(火) 15:19:52 ID:sbcJ6HC7Ds
>>59 女体は美しい

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061 2013/11/09(土) 10:04:02 ID:oeUFtmTvco
どれも頷けるけど、もともと美術が生活に溶け込み不可分だった日本が
西洋でいうアートを意識した時、それらを指し示すものとして芸術という言葉や概念を創った。
日本では情緒的な捉え方が発達し、金銭といった俗なものに絡めることをどこか悪しきこととする風潮が生まれたが、
西洋では日本では通常読まれないような作品論理が存在し、密接に経済活動が関わっている。
だから日本で言われるようなものはアートではない。概念も作品も西洋と地続きで通用しない。

これに気付いて実践しているのが村上隆で、それは確かに正しいのだろう。

だが、だからといって日本人が実感し育んできた芸術が誤っている訳ではない。
エリアで高度に洗練されたものが他からわかりにくい、というのはお互い様。
ただ、確実にあるそのギャップをどう扱うかということに無自覚ではマズイ。

作品に賛否あるが、このことに問題提起したことは重要だと思う。

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062 2013/11/09(土) 23:26:55 ID:/x0pKxfXN.

アリファイト以外で、このスレ唯一のまともな意見や
wwww

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063 2013/11/13(水) 23:12:04 ID:CYzTh7btBQ
自演
カッコ悪っ!

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064 2013/11/14(木) 18:38:39 ID:MQDYzSNktA
>>63

>>61だけど、違う。
アリさんの言い回しにムッとする人は多いだろうが、それ芸風のようなものだから。
芸術板に書いている内容自体は面白いと思うんだけどな。
最近ではメイプルソープに対する見解がそうだったが、俺自身は意見の一致をみることが結構ある。

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065 2013/11/15(金) 23:03:57 ID:FdJU.s/jU6
通貨とアートは同じだってことは日本だって知っていた
というか、貨幣経済のそもそも発祥から、何を通貨にするかの争闘も始まり、
美術工芸も片隅で候補にあった
利休(及び茶人の大半)とかは知っていた節がある
日本の芸術の真骨頂は桃山からだが、貨幣経済もこのころから発達した

反面、日本人の生活に美術が溶け込んでいたと思うのは後理屈というか嘘
全然溶け込んでいない
やはり、西欧と同じく支配者上層階級の道楽に纏わる
パトロンが育てるものだ
裏書き、箱書きなどして価値を釣りあげていた
中国だってそうだったし・・・
また、金銭=悪、汚いなどという観念は比較的近世のもので、江戸時代の朱子学あたりからにすぎん

そして芸術は、情緒、感応を無視したら単なる偽造困難な紙幣

つまり、西洋でいうアートのみが貨幣代替物ではなく、あらゆるアートはその潜在的な資格がある
だが、それは芸術の本体ではない(見紛われやすいだけで、というより情緒や信仰こそ、貨幣を貨幣たらしめる資格の大きな要素だ)

貨幣に牛や米、貝殻、ゴールドがなれるように、芸術作品の内、物体化して保存のきくものが貨幣類同物になろうとした。その場で消えてなくなる芸術は惜しいかな、その条件を欠いていた
芸術でなくても、工芸品の骨董でもいい
物体化して保存がきくなら

貨幣=芸術とするとこぼれ落ちるあまりに多くのものがある

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066 2013/11/16(土) 23:13:02 ID:8NQOJqU9o6
>>61 「泉」みたいな作品の良さわからんだろ。お前。

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067 2013/11/16(土) 23:33:33 ID:5XI9fayy7U
>>66
お前に読解力ないのはわかった
お前が噛み付いてる部分に関してそれほどの極論書いてないからな
金銭=アートとも =悪とも ましてや情緒と関係ないなどとも書いてないんだが?

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068 2013/11/17(日) 00:11:16 ID:99cq.BDZvw
>それに加えてフランスから来たマルセル・デュシャンが便器で作った『泉』を発表た。
>muttとサインして、ある展覧会でこの便器を出して、アートはどうせ下ネタ=エロスでは
>ないか、下ネタだったら男子便所の便器でも持ってきてやるよ、と。美術館的な台座にのせ
>て芸術とはこんなものでございというパロディをやってみせたところ、今や現代美術の始祖
>といえばデュシャンの『泉』ということになっています。これが現代美術のゼロ地点です。

こんな文章書く詐欺師みたいな村上ナントカ信奉するなw

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069 2013/11/17(日) 00:53:50 ID:xgRre48.7k
問題提起が重要だと書いただけ。作家としての評価は別だ。
ただ、海外で作品を発表すると、アートは世界共通!心は通じる!とばかり言えない差異も感じるものだが?
少なくとも村上はその先を行き、答えを出しているのは事実で、その事実自体は認めなければならない。
自分も彼のような作品を作りたいか?彼のような売れ方をしたいか?と言われればNOだが、それでもだ。

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070 2013/11/17(日) 01:06:15 ID:99cq.BDZvw
言葉でいろいろと喚いて解釈して得心したつもりになってるのはただのセンスが欠けた
無神経人間だからどうでもいい。村上も所詮、その類でしかない。

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071 2013/11/20(水) 23:26:30 ID:iMykatGo4o
めんどうくさいやっちゃな
61と62が同一人物であることぐらい、普通の日本人の「読解力」ならわかる。
文体、使用する語句、主張したいらしい盲信、すべて同じ匂いがするのみならず、
他のスレでの能書きと全く同一。加えて過疎版で時間が近接しすぎ。


>もともと美術が生活に溶け込み不可分だった日本

これが嘘だというのだ。なにをもって美術と生活が溶け込んでいるというのか?
西洋と日本は違うと言い張る理由があいまいで印象論で説明欠如。何が言いたいのか不明。
日本は自然が美しい。四季が美しいというのならわかる。

>日本では情緒的な捉え方が発達し、金銭といった俗なものに絡めることをどこか悪しきこととする風潮が生まれたが、

日本以外の世界では美術と金銭が絡んでいると言いたいんだろうが?日本は美術=情緒一本やりだと言いたいんだろうが?
しかも日本でそれが悪しきことだという風潮がいったいどこにあるのだか?
今般の高級食材の食品偽装と同じ。高価な品物についての意偽装には庶民はあまり反応しない。奢侈品の高額やり取りにいちいち善悪は感じないよ。平均的日本人は。美術品なんて奢侈品の最たるものなんだから。
金持ちの道楽について悪しきことなんてわざわざ思いもしない。
芸術、美術から情緒を除去したがるのはアリファイト以外いない。

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072 2013/11/20(水) 23:40:45 ID:iMykatGo4o
>西洋では日本では通常読まれないような作品論理が存在し、密接に経済活動が関わっている。
経済活動と芸術がどうかかわっているって?何を言いたい?ちゃんと説明しなさいよ。
作品論理(読む読まないって何?)が経済活動と密接って何?
要は芸術作品は錬金術と異ならない問なぜ言わない?65はそう説明している。
こんなものは「極論」でもなんでもないんだよ、67よ。
芸術は美の通貨なのだ。錬金術なのだ。それは決して悪いことじゃない。通貨になるってことは象徴であり、諸物から一つ頭が出ているのだ。
構造的に神と同じなのだよ。


>金銭=アートとも =悪とも ましてや情緒と関係ないなどとも書いてないんだが?
書いていないから何を言いたいかわからない文章なんだろうな。
金銭=アートだよ。通常国家が独占している造幣権の民間分与みたいなもんだ。だからすごいんだ。
それを多くの人が支持し、信じ、通貨、金、城と等価にまで上昇させるパワーがひとかたならない。
日本では「金銭に絡んでしまう芸術は悪しきこととみなされる風潮」があると書いているじゃん。


>だから日本で言われるようなものはアートではない。概念も作品も西洋と地続きで通用しない。
日本で言われているものがアートじゃない?通用しない?
卑下し過ぎ。
西洋と日本が同じ美意識を持っていないことはわかる。金銭に絡む西洋にはアートで、金銭に絡めない日本のアートは西洋ではアートと認めない?
あんたが平均的西洋人で、日本のアートを金的価値で評価できないのであれば返す言葉はない。
私は西洋は日本の芸術に何百年も遅れていると思っている。ギャップがあるならそれだろう。
概念は必ずしも断絶していない。ただ、風土からか、感性が大雑把な西洋には、まだ日本の美意識に到達できないハンデがある。

>アートは世界共通!心は通じる!とばかり言えない差異も感じるものだが?
だから、誰も世界共通とは言っていないんだが。心も通じると言っていないんだが。
科学や数学じゃないんで。
文化と風土に根差し、感受性とセンスで理会するものだから。
でも1号いくらで比較衡量可能なものにはされてしまうがな。


最後に聞きたい
>少なくとも村上はその先を行き、答えを出しているのは事実
村上の答えって何?

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073 2013/11/21(木) 23:10:09 ID:YN26irGVzE
>61と62が同一人物であることぐらい、普通の日本人の「読解力」ならわかる。
>文体、使用する語句、主張したいらしい盲信、すべて同じ匂いがするのみならず、
>他のスレでの能書きと全く同一。加えて過疎版で時間が近接しすぎ。

へ〜、アリファイトは明和で一度も自演なんかしたこと内のに、この断言っぷりwwww
村上隆シンパはすべて同一人物に見えるという、まさに妄想脳の極みやな!!!!1

こりゃひっさいぶりの
DIE BACK SHOWもんやで!!!!1☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

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074 2013/11/21(木) 23:13:11 ID:YN26irGVzE
> 芸術、美術から情緒を除去したがるのはアリファイト以外いない。
アリファイトにそんな権限があるのか、そいるはまじすげ〜やwwww
現代アートのルールを鑑みた上での結論を述べてるに過ぎないのにwwww

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075 2013/11/22(金) 00:02:28 ID:tq2uvZtHsw
アリさんと同一視された俺からも書くが、

>61と62が同一人物であることぐらい、普通の日本人の「読解力」ならわかる。

事実まったく違うんだが、じゃああんたはナニ人だ?
大した読解力だこと。彼が自演する意味が何かあるか?

書いたのが誰だとか、文章の核ではなく枝葉に難癖をつけて話を膨らませたがるのにはうんざり。
意見のやり取りを愉しむ雰囲気ではまるでなさそうだから、もう俺は来ないよ。

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076 2013/11/22(金) 23:36:30 ID:Ss6pZKeVYI
何逃げてんだよ
ぼろが出るってか

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077 2013/11/24(日) 23:40:15 ID:1dLmXYuSto
>へ〜、アリファイトは明和で一度も自演なんかしたこと内のに、

ウソつけ。自演はお前のオハコだろwww

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078 2013/11/25(月) 16:10:58 ID:gvxKRSfyr2
そうか、じゃあアリファイトが自演しているという確たる証拠を頼むわwwww

本人がしかりと否定してるんだから、絶対的客観的圧倒的真実をな!!!!1♪

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079 2013/12/09(月) 22:50:43 ID:QRLbuFyzic:au
勉強になるなぁ。

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080 2013/12/11(水) 23:24:15 ID:VF.yjKNF1Q
>>65
利休「私が選んだものが美なのです」(「利休にたずねよ」)
類稀の審美眼はあったであろうが、利休は現代アートのカラクリそのものをすでに心得、操作していたようだ
ただ、あの時代の特殊条件が、いわば「疑似貨幣バブル」を生んだ面も否めない
秀吉は利休を切腹させ
家康は織部を切腹させる
これは現代の政府がリーマン(山一でも拓銀でもいいが)を倒産させるのと同じ処置
極めて政治的な意思

北朝鮮の張成沢粛清はむしろ恣意的である

ということで、錬金術はそれなりの卓越した美の業を求める
この超人的な苦労は、お前が造幣を腕一本でやれと言われた場合に相当し、
一般人なら尻尾巻いて逃げるレベル、腕に覚えのある連中の誰もが恐れおののくレベルではある

まあ、腕に加えてハッタリと向こう気、肝っ玉が必要なのは経営と同じ

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081 2013/12/13(金) 23:51:12 ID:dSNaDhaUus
正確には、美の司祭、利休、ヴァリニヤーノに答えて曰く「(美は)私が決めることです。私が選んだ品に、伝説が生まれます。」
「利休にたずねよ」山本健一著

「日常的に使用される既製品の有用性を奪い、サインを施すことで美術の文脈へと持ち込んだマルセル・デュシャンに、なるほどどこか似ています。
彼の行為は美術館や展覧会、それに関わる人々に対する「価値ってなんなの?作家のサインがしてあればアート?」という強烈な皮肉でもあるし、
それまでの「芸術品はアーティストの手作業による一点もの!」というイデオロギーに完全に反しています。
そんなデュシャンと、遠く時空を隔てた利休との間に、その時代の固定観念や常識を覆してものの持つ意味をひっくり返した、という共通点があったのです。
しかも現代美術の父であるデュシャンから遡ることなんと400年!日本にすでに「価値の転換」を行っている人物がいたなんて、ちょっとすごいよね、とお二人。
杉本さんの言葉を借りれば、「デュシャンは、これアートですよ、何か?と言って、利休は、これ花入ですよ、何か?と言った」というわけです。」
(杉本博司×千宗屋「千利休とマルセル・デュシャン|観念の錬金術」2011)

杉本博司曰く「桃山の利休の時代にみる自由精神の発露を、西洋では20世紀のデュシャンまで待たなければならなかった」「利休の「見立て」とデュシャンの「レディメイド」の共通点」云々・・・

だが、美が貫かれていなければ、単なる価値転換、価値創造の経済活動、もしくはトマソンの類の数寄。あるいはトリックアート、錯視錯覚頭の体操。非日常、非常識。クレイジー。

美は感性、感受性だけではない深遠な「生命」の標。キレイの先にある生命肯定の根幹。「生まれてよかった」的感性的な確認、証明、証左。
集合的なそれが撚り合わさって通貨を支える信心に昇華する。
これは並大抵じゃない。情緒が束になって支えているのだ。

情緒をバカにするやつほど観察が情緒的で論理性が欠如している不思議。
説明能力もない。

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082 2013/12/20(金) 23:14:58 ID:0Kt1I.I02Y
諸物から抜きんでるために、芸術は「美」という綱を掴んだ。
「美」は芸術ごときに収めることもできぬ、より大きな概念だ。
諸物から抜き出るためだけなら、有名でありさえすればいいんじゃないか?
署名があればいいんじゃないか?
というギャグに飽きもせず付き合うバカはそうはいない。
「美」など忘れて・・・というアンチテーゼが新鮮だった時代もあったっけレベルの挿話。

ということで、芸術は必ず「美」に回帰する。(アートは帰ってこなくていいよ)

「美」は、官能報酬、感覚報酬の束。
情緒領域に展開する。
したがって、芸術の理解、説明、解析は、この人造物による情緒-情動操作に見なければならないのに、
感情、心理、情動という語句を出すだけで、情緒的説明!と脊髄反射するバカがいて、
そいつはむしろ情緒的に、芸術に対するポストモダンな御託や能書きの方に反応して、カッコええなあ・・・とか感心している。
アンタが反応しているのは、単なる批評文芸、言語芸術だよ。
それはそれで「芸術」だがね、俺はそんなコミカルな作品には興味がない。

本当の芸術のカラクリ、正体、人間活動における芸術の意味が知りたいんだよ。

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083 2013/12/21(土) 20:05:11 ID:6SZysxb/PQ
[YouTubeで再生]
イベントを企画して多数の参加を募り成功させる「参加型アート」。
「アート」の技術的側面から見ても、企画や実行がアートと言えるのか。
たしかに、そこには情熱、興奮、高揚、感動、などがあるかもしれない。
卓越・超絶したものを求めるのとは違う行きかたである。

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084 2014/02/10(月) 02:50:45 ID:S07GfK5v1w
いや〜、結局アリファイトの自演についてなんら理路整然とした説明もできず
ムキ〜って発狂しちまった猿が何のロジックもない感情論で見事なまでに、低脳ッぷりを晒してくれましたwwww

アリフィアト、完全大勝利ぶいぶい☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★!!!!1

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085 2014/02/12(水) 20:53:16 ID:EnHTW97uWc
↑もうお前が大ウソつきの童貞バカ中年オヤジだってみんな知ってるぞwww

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086 2014/02/15(土) 20:39:46 ID:Z7hAo5nyzc
訳語として見れば、
United States of America → アメリカ合衆国
アメリカ合州国は間違い(学校のテストで×になる)
なんてのがあるから、意味するものがよくわからなくなる

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087 2014/02/18(火) 20:55:45 ID:M7yU3QuKr6
アリファイトの圧倒的高知生によるアート批評が読み
たいのならここしかないな♪

HEI COMEON BABY!!!!1
http://ask.fm/air_faigh...

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088 2014/03/06(木) 00:22:14 ID:ok1jmYJ0Gg
>>78
わたしが証拠だ!!
みたいな民族気質を感じる

証拠が唯一本人の強固なる主張であっても貫き通せると思う理性そのものに大いなる疑問符がつく

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089 2014/10/10(金) 17:31:28 ID:jJ4AKrWE6M

で、半年以上たってもアリファイトが自演していると
いう確たる証拠をなに一つ具体的に出せないサルはど
このドイツかしらwwww
(^ν^)

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090 2014/10/10(金) 21:37:22 ID:AqBcVdcpTY
写真板の人はあまり芸術性がないよー。

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091 2014/10/12(日) 07:25:12 ID:QygeYkuSZE
誰にも相手にされないかわいそうな奴www

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092 2014/10/12(日) 12:34:31 ID:0QSt/R9TkQ

そりゃ、自演などしてないアリファイトに向かってな
んの客観的な証拠もなく、自分の願望だけで自演して
ると言い切ってしまったんだから、ここまでアリファ
イトに追い詰められたら無視を決め込むしかないよ
な!!!!1
(^ν^)

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093 2014/10/12(日) 17:53:12 ID:/TKusCAbCg
アリさん写真板にも遊びに来てよ〜

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094 2014/12/14(日) 13:30:46 ID:fzCr0hHw0M
あるゲージツ家の肖像

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095 2014/12/31(水) 01:26:44 ID:n0.HAAz4vM
「自演」とか「自演」でないとか言ってるが、
こういう掲示板で「他演」ってのも可能なのかな?
作品が作者の意向と無関係に評価されたりするから
芸術ってやつはもしかすると他演かも知れん・・・

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096 2015/10/20(火) 02:08:28 ID:cpDDMMviOY
要するに管理人さんが「芸術アート」なんていう勝手気ままな板名を付けたのが原因?
さて、どこからが芸術でどこまでがアートでしょうかね

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098 2018/02/07(水) 22:18:38 ID:ZcE7ODQ44Y
芸術やアートは、畢竟「可視化」ですよ。
どうして、何を、「可視化」しなければならないかを、われわれは頭であまり考えたことがないようだ。
可視化とは何であるか、どうして可視化に執心するのか?
一つの答えは、可視化が難しい、いや、事実上不可能であることに起因する。

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099 2018/02/18(日) 05:06:22 ID:WWnitTHrQE

2年半越しのレスありがとう!!

返信する

100 2018/05/16(水) 02:55:23 ID:Nvs.O/o7pg
101 2018/06/06(水) 18:54:55 ID:2kk21osqbE
最近、芸術は宗教の起源なんじゃないかと思い始めている。
宗教にまで高まってしまうのが芸術なのだと。
美だけではなく、神を造形し始めてしまうのが、芸術。
普通の人は、その逆に、宗教からも芸術が派生、もしくはスポンサードされるのだと考えがちだけれども、
正しくは、芸術から宗教、聖なる世界、神などのイメージが、結晶する。
なぜなら、表現されないものは存在しないからである。
芸術には、中身がない。空っぽ。でも、宗教だって中身はない。ただ、芸術にはパワーがある。
人の心を動かすパワーだ。
偶像崇拝を禁じるユダヤキリスト教、イスラム教は、芸術からの独立宣言とみるべきだ。
だが、独立などできるはずがないのである。
カテドラル、賛美歌、パイプオルガン、司祭、預言者、宗教画まで廃止してもダメである。
聖書も芸術なのだ。
可視化されたものは、すべからく偶像だ。つまり、芸術、芸能だ。
芸術、芸能とは、インパクトの強い、ひとの心を動かす表現物という定義が適当だ。
それが、宗教まで創造し、集団の統合を実現したことの名残が、現代芸術にも見て取れなければならない。

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102 2018/10/16(火) 01:05:50 ID:oTafbQzLso
103 2018/10/16(火) 01:08:55 ID:oTafbQzLso
104 2019/07/05(金) 12:04:47 ID:VQWPOBOpK6
アート、それも現代アートと呼ばれるものは、芸術を独立させることに挑んできた。
何故なのかは横に置き、何からかというと、「意味」からだ。
意味を離れた表現物でない限り、現代アートではない。
したがって、意味を担わなければならない表現物には現代アートは絡むことが出来ない。
意味を完全に捨てることが出来た現代アートに何が残っているのだろう?
感情に作用すること?意味もないくせに?意味のないものがどんな感情を作れる?
そんな、削ぎ落とされた感情に中身はあるの?
残っているものがある。

美だ。

返信する

105 2019/07/05(金) 18:12:19 ID:VQWPOBOpK6
日本美学研究所というサイトでは、「人形と彫刻」はどこが違うかを解説している。
http://bigakukenkyujo.jp/blog-entry-62.htm...
「すべての彫刻には、あらかじめ「意味」が与えられているのです。
これは彫刻だけではなく、絵画や舞踊なども同様です。
「芸術」と呼ばれるものには、何かしら特有の「意味」が内包されているのです。」
反対に
「人形には意味が欠落しているので」あり、
「意味がないからこそ持ち主が名前を付け、愛玩し、自由に内面のキャラクターを形作ることができます。」
「プライベート性、時間の共有、意味の欠落、これらが人形の諸要素であり、彫刻との最大の相違ポイントです。」

さて、それでは、人形こそが「現代」アートなのか?
そんなことはない。この解説が仕損じている。
人形にも意味があり、固有名詞のある人物だったりもし、フィギュアとして「物語」を背景に持ったりする。
一般名詞的なドール人形やこけしも、女の子という意味を持つ。
人形と彫像の違いは、「可動性」である。
時間が静止しているか否か。こけしですら、抱いて運べるだけで可動性なのだ。振り付けできるものが人形。
人形にもしっかり意味はまとわりついている。

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106 2019/07/05(金) 18:29:28 ID:VQWPOBOpK6
上記サイト論者、
「量塊(マッス)」、「触感」に美を感じる近代彫刻の重要ポイントを指摘して、
「意味」からの脱出に気がついていても、かくのごとし。

要するに、あらゆる対象、世界に「意味」を探し求めてしまうわれわれは、
意味をかなぐり捨てても自立できる「美」を立ち上げることが非常に困難なのだ。
意味があるものに意味がないとしてしまい、本当の意味のなさには耐えられない。
観察者、鑑賞者、評者、論者ですらそうなのだ。
意味がないのに成立できるアートの模索が、「創造者」にとっていかにハードルが高いか知れよう。
これはもう、絶対にばれない偽金作りと同じくらいに難しい。

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107 2019/07/06(土) 23:56:04 ID:7N2y2yvXhA
全体的に感覚的に統合させて、対象が詩情持つという特徴に気づく奴が極々、稀にいる。
ガチでそういう実力があるなら、片鱗が10代半ばで見えてるし、それ以降で見えないと人生に期待しない方が良い。

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108 2019/07/07(日) 22:01:32 ID:bUW.F8UU1A
>107
学齢初期くらいから香り始める。
十代半ばはすでに盛りだ。
二十、三十と衰えぬ保証はない。

枯渇への恐怖。
そして珠玉の卵を産めとまとわりつく無言の圧力。
意味をまとう芸術であれば、なんぼ「職業」として楽であったか。
自らの才能へ抗いがたく積もる暗い不信感と怯懦から、
意味のない美に絞りきれずに、逃げ場として「作家性」に逃げたのが近代アート。
作家自身のキャラに逃げ込んだ。
批評家達は、本来毫も説得する必要のない美に感応できない度合いに応じて、無闇に多弁になる。
こちらは多く語ることで、了解できぬ美に対峙しても、意味で塗りつぶして安心できる職業なのである。
意味から逃れ始めている芸術に下らぬ御託、本来なら要らないんだが、それゆえにこそかえって自由に並べられる。

現代アートは、このような野合、共犯、馴れ合いには耐えることができない。
批評家の決してついてこれない地平へと、密かに歩を進める。
作家性の匂わぬ、無名性に逃亡する。
自由に呼吸できる表現へ、自分に降りてくる霊感と誰にも邪魔されず戯れる境地へ。
近代の貨幣化暴力からの解放。
そして、ついに果たされる本当の独立。

どの水辺にも、キラキラ輝く水面の光であれば良い。

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109 2019/07/07(日) 22:34:43 ID:0JG0o1smlA
50でも60でも衰えない人は衰えないけどね

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110 2019/07/26(金) 18:29:16 ID:cu5MUEET0g
>>109

衰えていると思うよ
技術や名声でカバーできないくらいに
本人が永遠の傑作の幻影を追い続けていても

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111 2019/09/07(土) 04:36:33 ID:d36e6NcAGs
スケベな官憲のおっさんやおばはんをしてワイセツとか反社会的とされる作品が芸術。

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112 2019/09/07(土) 12:38:34 ID:jZ0p/fBvoo
みんな深く考えすぎ。
アート自体、金持ちのパトロンのために描く絵だよ。
写真のなかった時代、自分や家族の肖像を、宗教施設が宗教画を欲しがったので、それを具現化するテクニック=アートと呼んだ。
それだけの事。

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113 2019/09/24(火) 18:02:28 ID:.09KeK2CO.
しょせん商品

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