「芸術アート」いう言葉が指し示すもの…


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001 2012/12/20(木) 21:57:01 ID:LY6pAxdGU.
「芸術アート」って、どういうものなんだろう?
あらためて考えたが、よくわからなかった・・・

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079 2013/12/09(月) 22:50:43 ID:QRLbuFyzic:au
勉強になるなぁ。

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080 2013/12/11(水) 23:24:15 ID:VF.yjKNF1Q
>>65
利休「私が選んだものが美なのです」(「利休にたずねよ」)
類稀の審美眼はあったであろうが、利休は現代アートのカラクリそのものをすでに心得、操作していたようだ
ただ、あの時代の特殊条件が、いわば「疑似貨幣バブル」を生んだ面も否めない
秀吉は利休を切腹させ
家康は織部を切腹させる
これは現代の政府がリーマン(山一でも拓銀でもいいが)を倒産させるのと同じ処置
極めて政治的な意思

北朝鮮の張成沢粛清はむしろ恣意的である

ということで、錬金術はそれなりの卓越した美の業を求める
この超人的な苦労は、お前が造幣を腕一本でやれと言われた場合に相当し、
一般人なら尻尾巻いて逃げるレベル、腕に覚えのある連中の誰もが恐れおののくレベルではある

まあ、腕に加えてハッタリと向こう気、肝っ玉が必要なのは経営と同じ

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081 2013/12/13(金) 23:51:12 ID:dSNaDhaUus
正確には、美の司祭、利休、ヴァリニヤーノに答えて曰く「(美は)私が決めることです。私が選んだ品に、伝説が生まれます。」
「利休にたずねよ」山本健一著

「日常的に使用される既製品の有用性を奪い、サインを施すことで美術の文脈へと持ち込んだマルセル・デュシャンに、なるほどどこか似ています。
彼の行為は美術館や展覧会、それに関わる人々に対する「価値ってなんなの?作家のサインがしてあればアート?」という強烈な皮肉でもあるし、
それまでの「芸術品はアーティストの手作業による一点もの!」というイデオロギーに完全に反しています。
そんなデュシャンと、遠く時空を隔てた利休との間に、その時代の固定観念や常識を覆してものの持つ意味をひっくり返した、という共通点があったのです。
しかも現代美術の父であるデュシャンから遡ることなんと400年!日本にすでに「価値の転換」を行っている人物がいたなんて、ちょっとすごいよね、とお二人。
杉本さんの言葉を借りれば、「デュシャンは、これアートですよ、何か?と言って、利休は、これ花入ですよ、何か?と言った」というわけです。」
(杉本博司×千宗屋「千利休とマルセル・デュシャン|観念の錬金術」2011)

杉本博司曰く「桃山の利休の時代にみる自由精神の発露を、西洋では20世紀のデュシャンまで待たなければならなかった」「利休の「見立て」とデュシャンの「レディメイド」の共通点」云々・・・

だが、美が貫かれていなければ、単なる価値転換、価値創造の経済活動、もしくはトマソンの類の数寄。あるいはトリックアート、錯視錯覚頭の体操。非日常、非常識。クレイジー。

美は感性、感受性だけではない深遠な「生命」の標。キレイの先にある生命肯定の根幹。「生まれてよかった」的感性的な確認、証明、証左。
集合的なそれが撚り合わさって通貨を支える信心に昇華する。
これは並大抵じゃない。情緒が束になって支えているのだ。

情緒をバカにするやつほど観察が情緒的で論理性が欠如している不思議。
説明能力もない。

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082 2013/12/20(金) 23:14:58 ID:0Kt1I.I02Y
諸物から抜きんでるために、芸術は「美」という綱を掴んだ。
「美」は芸術ごときに収めることもできぬ、より大きな概念だ。
諸物から抜き出るためだけなら、有名でありさえすればいいんじゃないか?
署名があればいいんじゃないか?
というギャグに飽きもせず付き合うバカはそうはいない。
「美」など忘れて・・・というアンチテーゼが新鮮だった時代もあったっけレベルの挿話。

ということで、芸術は必ず「美」に回帰する。(アートは帰ってこなくていいよ)

「美」は、官能報酬、感覚報酬の束。
情緒領域に展開する。
したがって、芸術の理解、説明、解析は、この人造物による情緒-情動操作に見なければならないのに、
感情、心理、情動という語句を出すだけで、情緒的説明!と脊髄反射するバカがいて、
そいつはむしろ情緒的に、芸術に対するポストモダンな御託や能書きの方に反応して、カッコええなあ・・・とか感心している。
アンタが反応しているのは、単なる批評文芸、言語芸術だよ。
それはそれで「芸術」だがね、俺はそんなコミカルな作品には興味がない。

本当の芸術のカラクリ、正体、人間活動における芸術の意味が知りたいんだよ。

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083 2013/12/21(土) 20:05:11 ID:6SZysxb/PQ
[YouTubeで再生]
イベントを企画して多数の参加を募り成功させる「参加型アート」。
「アート」の技術的側面から見ても、企画や実行がアートと言えるのか。
たしかに、そこには情熱、興奮、高揚、感動、などがあるかもしれない。
卓越・超絶したものを求めるのとは違う行きかたである。

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084 2014/02/10(月) 02:50:45 ID:S07GfK5v1w
いや〜、結局アリファイトの自演についてなんら理路整然とした説明もできず
ムキ〜って発狂しちまった猿が何のロジックもない感情論で見事なまでに、低脳ッぷりを晒してくれましたwwww

アリフィアト、完全大勝利ぶいぶい☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★!!!!1

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085 2014/02/12(水) 20:53:16 ID:EnHTW97uWc
↑もうお前が大ウソつきの童貞バカ中年オヤジだってみんな知ってるぞwww

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086 2014/02/15(土) 20:39:46 ID:Z7hAo5nyzc
訳語として見れば、
United States of America → アメリカ合衆国
アメリカ合州国は間違い(学校のテストで×になる)
なんてのがあるから、意味するものがよくわからなくなる

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087 2014/02/18(火) 20:55:45 ID:M7yU3QuKr6
アリファイトの圧倒的高知生によるアート批評が読み
たいのならここしかないな♪

HEI COMEON BABY!!!!1
http://ask.fm/air_faigh...

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088 2014/03/06(木) 00:22:14 ID:ok1jmYJ0Gg
>>78
わたしが証拠だ!!
みたいな民族気質を感じる

証拠が唯一本人の強固なる主張であっても貫き通せると思う理性そのものに大いなる疑問符がつく

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089 2014/10/10(金) 17:31:28 ID:jJ4AKrWE6M

で、半年以上たってもアリファイトが自演していると
いう確たる証拠をなに一つ具体的に出せないサルはど
このドイツかしらwwww
(^ν^)

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090 2014/10/10(金) 21:37:22 ID:AqBcVdcpTY
写真板の人はあまり芸術性がないよー。

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091 2014/10/12(日) 07:25:12 ID:QygeYkuSZE
誰にも相手にされないかわいそうな奴www

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092 2014/10/12(日) 12:34:31 ID:0QSt/R9TkQ

そりゃ、自演などしてないアリファイトに向かってな
んの客観的な証拠もなく、自分の願望だけで自演して
ると言い切ってしまったんだから、ここまでアリファ
イトに追い詰められたら無視を決め込むしかないよ
な!!!!1
(^ν^)

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093 2014/10/12(日) 17:53:12 ID:/TKusCAbCg
アリさん写真板にも遊びに来てよ〜

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094 2014/12/14(日) 13:30:46 ID:fzCr0hHw0M
あるゲージツ家の肖像

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095 2014/12/31(水) 01:26:44 ID:n0.HAAz4vM
「自演」とか「自演」でないとか言ってるが、
こういう掲示板で「他演」ってのも可能なのかな?
作品が作者の意向と無関係に評価されたりするから
芸術ってやつはもしかすると他演かも知れん・・・

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096 2015/10/20(火) 02:08:28 ID:cpDDMMviOY
要するに管理人さんが「芸術アート」なんていう勝手気ままな板名を付けたのが原因?
さて、どこからが芸術でどこまでがアートでしょうかね

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098 2018/02/07(水) 22:18:38 ID:ZcE7ODQ44Y
芸術やアートは、畢竟「可視化」ですよ。
どうして、何を、「可視化」しなければならないかを、われわれは頭であまり考えたことがないようだ。
可視化とは何であるか、どうして可視化に執心するのか?
一つの答えは、可視化が難しい、いや、事実上不可能であることに起因する。

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099 2018/02/18(日) 05:06:22 ID:WWnitTHrQE

2年半越しのレスありがとう!!

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100 2018/05/16(水) 02:55:23 ID:Nvs.O/o7pg
101 2018/06/06(水) 18:54:55 ID:2kk21osqbE
最近、芸術は宗教の起源なんじゃないかと思い始めている。
宗教にまで高まってしまうのが芸術なのだと。
美だけではなく、神を造形し始めてしまうのが、芸術。
普通の人は、その逆に、宗教からも芸術が派生、もしくはスポンサードされるのだと考えがちだけれども、
正しくは、芸術から宗教、聖なる世界、神などのイメージが、結晶する。
なぜなら、表現されないものは存在しないからである。
芸術には、中身がない。空っぽ。でも、宗教だって中身はない。ただ、芸術にはパワーがある。
人の心を動かすパワーだ。
偶像崇拝を禁じるユダヤキリスト教、イスラム教は、芸術からの独立宣言とみるべきだ。
だが、独立などできるはずがないのである。
カテドラル、賛美歌、パイプオルガン、司祭、預言者、宗教画まで廃止してもダメである。
聖書も芸術なのだ。
可視化されたものは、すべからく偶像だ。つまり、芸術、芸能だ。
芸術、芸能とは、インパクトの強い、ひとの心を動かす表現物という定義が適当だ。
それが、宗教まで創造し、集団の統合を実現したことの名残が、現代芸術にも見て取れなければならない。

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102 2018/10/16(火) 01:05:50 ID:oTafbQzLso
103 2018/10/16(火) 01:08:55 ID:oTafbQzLso
104 2019/07/05(金) 12:04:47 ID:VQWPOBOpK6
アート、それも現代アートと呼ばれるものは、芸術を独立させることに挑んできた。
何故なのかは横に置き、何からかというと、「意味」からだ。
意味を離れた表現物でない限り、現代アートではない。
したがって、意味を担わなければならない表現物には現代アートは絡むことが出来ない。
意味を完全に捨てることが出来た現代アートに何が残っているのだろう?
感情に作用すること?意味もないくせに?意味のないものがどんな感情を作れる?
そんな、削ぎ落とされた感情に中身はあるの?
残っているものがある。

美だ。

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105 2019/07/05(金) 18:12:19 ID:VQWPOBOpK6
日本美学研究所というサイトでは、「人形と彫刻」はどこが違うかを解説している。
http://bigakukenkyujo.jp/blog-entry-62.htm...
「すべての彫刻には、あらかじめ「意味」が与えられているのです。
これは彫刻だけではなく、絵画や舞踊なども同様です。
「芸術」と呼ばれるものには、何かしら特有の「意味」が内包されているのです。」
反対に
「人形には意味が欠落しているので」あり、
「意味がないからこそ持ち主が名前を付け、愛玩し、自由に内面のキャラクターを形作ることができます。」
「プライベート性、時間の共有、意味の欠落、これらが人形の諸要素であり、彫刻との最大の相違ポイントです。」

さて、それでは、人形こそが「現代」アートなのか?
そんなことはない。この解説が仕損じている。
人形にも意味があり、固有名詞のある人物だったりもし、フィギュアとして「物語」を背景に持ったりする。
一般名詞的なドール人形やこけしも、女の子という意味を持つ。
人形と彫像の違いは、「可動性」である。
時間が静止しているか否か。こけしですら、抱いて運べるだけで可動性なのだ。振り付けできるものが人形。
人形にもしっかり意味はまとわりついている。

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106 2019/07/05(金) 18:29:28 ID:VQWPOBOpK6
上記サイト論者、
「量塊(マッス)」、「触感」に美を感じる近代彫刻の重要ポイントを指摘して、
「意味」からの脱出に気がついていても、かくのごとし。

要するに、あらゆる対象、世界に「意味」を探し求めてしまうわれわれは、
意味をかなぐり捨てても自立できる「美」を立ち上げることが非常に困難なのだ。
意味があるものに意味がないとしてしまい、本当の意味のなさには耐えられない。
観察者、鑑賞者、評者、論者ですらそうなのだ。
意味がないのに成立できるアートの模索が、「創造者」にとっていかにハードルが高いか知れよう。
これはもう、絶対にばれない偽金作りと同じくらいに難しい。

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107 2019/07/06(土) 23:56:04 ID:7N2y2yvXhA
全体的に感覚的に統合させて、対象が詩情持つという特徴に気づく奴が極々、稀にいる。
ガチでそういう実力があるなら、片鱗が10代半ばで見えてるし、それ以降で見えないと人生に期待しない方が良い。

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108 2019/07/07(日) 22:01:32 ID:bUW.F8UU1A
>107
学齢初期くらいから香り始める。
十代半ばはすでに盛りだ。
二十、三十と衰えぬ保証はない。

枯渇への恐怖。
そして珠玉の卵を産めとまとわりつく無言の圧力。
意味をまとう芸術であれば、なんぼ「職業」として楽であったか。
自らの才能へ抗いがたく積もる暗い不信感と怯懦から、
意味のない美に絞りきれずに、逃げ場として「作家性」に逃げたのが近代アート。
作家自身のキャラに逃げ込んだ。
批評家達は、本来毫も説得する必要のない美に感応できない度合いに応じて、無闇に多弁になる。
こちらは多く語ることで、了解できぬ美に対峙しても、意味で塗りつぶして安心できる職業なのである。
意味から逃れ始めている芸術に下らぬ御託、本来なら要らないんだが、それゆえにこそかえって自由に並べられる。

現代アートは、このような野合、共犯、馴れ合いには耐えることができない。
批評家の決してついてこれない地平へと、密かに歩を進める。
作家性の匂わぬ、無名性に逃亡する。
自由に呼吸できる表現へ、自分に降りてくる霊感と誰にも邪魔されず戯れる境地へ。
近代の貨幣化暴力からの解放。
そして、ついに果たされる本当の独立。

どの水辺にも、キラキラ輝く水面の光であれば良い。

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109 2019/07/07(日) 22:34:43 ID:0JG0o1smlA
50でも60でも衰えない人は衰えないけどね

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110 2019/07/26(金) 18:29:16 ID:cu5MUEET0g
>>109

衰えていると思うよ
技術や名声でカバーできないくらいに
本人が永遠の傑作の幻影を追い続けていても

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111 2019/09/07(土) 04:36:33 ID:d36e6NcAGs
スケベな官憲のおっさんやおばはんをしてワイセツとか反社会的とされる作品が芸術。

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112 2019/09/07(土) 12:38:34 ID:jZ0p/fBvoo
みんな深く考えすぎ。
アート自体、金持ちのパトロンのために描く絵だよ。
写真のなかった時代、自分や家族の肖像を、宗教施設が宗教画を欲しがったので、それを具現化するテクニック=アートと呼んだ。
それだけの事。

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113 2019/09/24(火) 18:02:28 ID:.09KeK2CO.
しょせん商品

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